47.
李學士眉叟曰, “吾杜門讀黃蘇兩集, 然後語遒然韻鏘然, 得作詩三昧.” 文順公曰, “吾不襲古人語, 創出新意.” 時人聞此言, “以爲兩公所入不同.” 非也. 其壼奥雖異, 所入皆一門. 何也? 學者讀經史百家, 非得意傳道而止, 將以習其語效其體, 重於心熟於工. 及賦詠之際, 心與口相應, 發言成章. 故動無生澁之辭, 其不襲古人, 而出自新警者, 唯構意設文耳. 兩公所云不同者, 殆此而已. 詩文以氣爲主, 氣發於性, 意憑於氣, 言出於情, 情卽意也. 而新奇之意, 立語尤難, 輒爲生澁. 雖文順公, 遍閱經史百家, 熏芳染彩, 故其辭自然富艶. 雖新意至微難狀處, 曲盡其言, 而皆精熟. 嘗賦明皇念奴云, ‘帝意方專眷玉環, 尙知嬌艶念奴顔. 若均寵幸分人謗, 老羯何名敢作難.’ 雖使古人幸出此新意, 其立語殆不能至此工也. 夫才勝其情, 則雖無佳意, 語猶圓熟, 情勝其才, 則辭語鄙靡, 而不知有佳意. 情與才兼得, 而後其詩有可觀. 文安公曰, “吳世才先生, 才識絶倫, 嘗得類篇覽之曰, ‘爲學莫此爲急.’ 乃手寫畢頌.” 凡作者, 當先審字本, 凡與經史百家所用, 參會商酌, 應筆卽使辭輒精强, 能發難得巧語. 辭若不精强, 雖有逸情豪氣, 無所發揚, 而終爲拙澁之詩文也. 李史館允甫, 學識精博, 詩文皆有根蔕. 嘗笑後學使字屬辭曰, “洗盡場屋習氣, 然後文章可敎也.” 今之後輩下於彼時遠矣, 例不事讀書, 務速進取. 習科擧易曉文, 幸得第, 猶未能勉益學業, 唯以抽靑嫓白, 立一對二, 琢生斲冷, 以爲工耳. 故見前人詩文雅正簡古, 則以爲朴質難效, 雄深奇險, 則以爲詰屈難知, 宏贍和裕, 則以爲疎闊未工. 都不容思. 見今人詩文, 有集今古已陳之語之意, 更爲結構其辭, 至於生弱鄙俚, 則皆以爲淸婉, 或以爲警苦. 殊不知見詩文有偃蹇, 不入我情者, 謂是爲己所未到處, 及反覆詳閱, 至得其味而後已也. 噫! 時文大變, 至於俚, 俚一變, 至於俳, 不知其卒何若也. 近世尙東坡, 蓋愛其氣韻豪邁, 意深言富, 用事恢博, 庶幾效得其體也. 今之後進讀東坡集, 非欲倣效, 以得其風骨, 但欲證據, 以爲用事之具, 剽竊, 不足導也. 況敢學杜甫, 得其波耶? 文安公常言, “凡爲國朝制作, 引用古事, 於文則六經三史, 詩則文選李杜韓柳. 此外諸家文集, 不宜據引爲用.” 又曰, “至妙之辭, 久而得味, 鄙近之作, 一見卽悅. 學者看書, 當熟讀之深思之, 期至於得意.” 文順公曰, “曩余初見歐陽公集, 愛其富. 再見得佳處, 至于三拱手歎服. 又見梅聖兪集, 心竊輕之, 未識古今所以號詩翁者. 及今見, 外若薾弱, 中含骨鯁, 眞詩中之精雋也. 知梅詩, 然後可謂知詩者也.” 又曰, “古人評詩之意, 老而漸詳味, 無不得於我心者. 唯謝公, ‘池塘生春草.’ 未識佳處.” 公之所云猶若是, 識者爲誰歟? 今有臆論者曰, “此句出語天然, 發生春意. 初茸新綠之想, 依然五字之間也.” 或曰, “春光漲暖, 物像菁華, 和裕之辭, 自然流出, 是所取者也.” 此意豈公不識處耶? 必有賽不得之意與氣, 存乎其間. 不然言之者過矣. 李眉叟少年時, 所作送春詩, 孤石碧蘿亭詩記, 無不膾炙人口, 以此名爲獨步. 及爲翰林以後, 見從前所作甚鄙之, 人有言者, 輒慚恧皆焚之, 不編於家集中. 文順公常謂人曰, “吾平生所作, 隨歲而進, 去年所作, 今年視之可笑. 年年類此.” 凡公少年時, 走筆立書, 略不構思. 其語或有近於時體者, 則人皆傳寫以頌之. 至於老貴閑吟, 徐詠覃思, 造語之作, 學者罕能悅其味. 然則知詩之難, 難復難矣. 予自少年, 入侍春坊, 至於今日, 無一歲無官責, 不暇事讀書, 徒以膚淺之學冒昧承乏, 官至學士. 秉筆汗顔, 何足知文章之勝劣, 妄爲筆舌哉? 但以及見老成人, 得聞餘論, 故粗記以所聞, 傳示後進云.
補閑集 卷中
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