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公平生嗜好惟在書籍。聞人有書。或購而置之。或借而傳錄。藏書幾千卷。而聘家多畜書。終不一借。語諸子曰。此吾所以避嫌處也。露頂公素善書。嘗借人趙松雪帖。未及還而棄世。帖主亦歿而無嗣。公聞其有 踈族。袖其帖而往歸之。家有韓濩帖。妹婿宋君甞愛玩不已。公欲贈而心之久矣。宋君歿。祭文道其意而遺之。此等事皆屬微細。而非人人可能也。公養疾居閑。非甚病。書未嘗一日去手。與人談論。援據古今。出入經史。至於百家稗乘雜說。無不淹貫
시골뜨기의 말을 모은 이유촌중비어서(村中鄙語序) 성현(成俔) 或有問於余曰: “六經之外, 皆虛文也, 經爲治道之律令, 而所當先者也. 至於史家記錄之書, 亦不可闕, 然未免浮誇潤飾之弊, 況外於史而怪僻者, 不可錄也?” 余應之曰: “若子之言, 固滯甚矣, 是猶養口腹者, 徒知五穀, 而不知他味也. 夫六經, 如五穀之精者也; 史記, 如肉胾之美者也. 諸家所錄, 如菓蓏菜茹, 味雖不同, 而莫不有適於口者也, 莫不有適於口, 則莫不有補於榮衛骨髓也. 詩有墻茨ㆍ鶉奔之語, 而孔子不删, 史家滑稽傳, 太史公錄之. 是可删去不錄, 而猶不去者, 蓋有意焉, 所以使人知戒而懲惡也. 『齊諧』, 志怪者也, 南華子效之, 其言尤怪, 然後之作文者, 皆祖尙其法而鼓舞之也. 自漢以來, 記事之家非一, 而皆記朝廷所無之事, 以資聞見之博, 若非諸家之錄則野外之事, 誰得知之? ..
게으른 농부와 학자들에게 타농설(惰農說) 성현(成俔) 歲庚寅, 大旱, 自正月不雨, 至于秋七月, 春不得犂, 夏不得鋤, 草之在野者無不黃, 禾之在畝者無不萎. 其有勤者則曰: “耘之亦死也, 不耘亦死也, 與其安坐而待焉, 孰若殫力而求焉, 萬一得雨, 豈盡無益? 故田已柝而耨不止, 苗已槁而芟不休, 終歲勤動, 要死而後已也.” 其有怠者則曰: “耘之亦死也, 不耘亦死也, 與其奔走而勞焉, 孰若無事而息焉, 萬一無雨, 是皆無益. 故見田夫而笑不已, 見饁婦而譏不止, 終歲退坐, 待天命而已也.” 余嘗秋穫, 至坡山之野, 其田半荒半理, 半疏半密, 或有疆項而仰者, 或有醉噎而垂者. 問諸父老則彼荒而疏, 疆項而仰者, 以爲無益而不耘者也; 理而密, 醉噎而垂者, 盡心盡力以求之者也. 偸一時之安, 而受終年之飢; 忍一時之苦, 而受終年之飽. 噫! 勤而得, 逸而..
표정으로 사람을 보는 안목을 드러냈던 빈소선생 빈소선생전(顰笑先生傳) 이익(李瀷) 顰笑先生者, 李完平相公之故人. 相公佐我仁祖大王, 致撥亂之治, 其要不外於臧否賢愚. 吾知必有所賴於人而得者, 而不露其迹. 當時有眉叟許先生, 終始門館, 有以知其實. 其言曰: “相公所與言議, 只有姜承旨緖及趙引儀忠男二人, 姜託於狂, 趙託於瘖, 皆詭與世違者也. 先生口默而心明, 其於評騭, 賢者以笑, 否則以顰, 後皆驗, 相公之所取蓋爲此也. 然則一顰一笑之間, 而相公陶鑄進退之權盡矣, 旣無其迹, 何從以指摘其人? 故遂稱曰: ‘顰笑先生’”云 嗚呼! 先生其果瘖而已哉? 先生卽靜菴文正公兄弟之後孫, 嘗往謁陶山李子, 請爲文正行狀, 而李子又作詩答其勤來之意, 詩在『退溪集』中可考. 余悲夫古今逸羣邁迹之士, 藏名草莽, 湮滅無稱者亦多, 故書此以附『東方一士傳』後. 『星..
창고의 쌀을 훔치며 살던 이의 이야기 창맹설(倉氓說) 권필(權韠) 氓有室于太倉之傍者, 不廢著, 不耕收, 每夕出而夜歸, 則必持五升米焉. 問所從得, 不告, 雖其妻兒, 莫覺也. 如是者積數十年, 其食粲如也, 其衣華如也, 而視其室則空如也. 氓病且死, 密詔其子曰: “倉之第幾柱, 有窽焉, 其大客指, 米之堆積于內者, 咽塞而不能出, 爾取木之如指者, 納于窽中, 迎而流之. 日五升卽止, 無取嬴焉.” 氓旣死, 子嗣爲之, 其衣食如氓時. 旣而, 恨窽小不可多取, 鑿而巨之, 日取數斗, 猶不足. 又鑿而巨之, 倉吏覺其奸, 拘而戮之. 噫! 穿窬, 小人之惡行, 苟能知足, 亦可以保身氓是也. 升斗, 利之細者, 苟不能知足, 亦可以殺身, 氓之子是也. 況君子而知足者耶, 況取天下之大利而不知足者耶? 高靈申貿夫, 爲余言. 『石洲外集』 卷之一 해석 氓有室于..
느리더라도 성실할 때 등산설(登山說) 강희맹(姜希孟) 魯民有子三人焉. 甲沈實而跛, 乙好奇而全, 丙輕浮而捷勇過人. 居常力作, 丙居常最, 而乙次之, 甲辛勤服役, 僅得滿課而無所怠. 一日, 乙與丙, 約登泰山日觀峯試力, 爭修屩屐, 甲亦飾裝. 乙與丙相視而笑曰: “泰山之峯, 出雲表, 俯天下, 非健脚力者, 不能陟, 豈跛者所能睥睨哉?” 甲哂曰: “聊且隨諸君末至, 萬幸也.” 三子至泰山下, 乙與丙戒甲曰: “吾曹飛騰絶壑, 曾不一瞬, 可且先行.” 甲唯唯. 丙在山下, 乙至山腰, 日已昏黑, 甲徐行不已, 直至山頂, 夜宿館下, 曉觀日輪湧海. 三子還家, 父各詢所得. 丙曰: “吾卽山麓, 天日尙早, 自恃猱捷, 傍谿曲徑, 足無不到, 妖花怪草, 靡不採掇, 彷徨未竟. 瞑色忽至, 曁宿巖下, 悲風聒耳, 澗水喧豗, 狐貍野豕, 旋繞啼呼, 悄然疚懷, 思..
차이성동헌운(次利城東軒韻)① 황정욱(黃廷彧) 目力東收碧海來 茫茫溟渤在亭臺二儀高下輪輿轉 太極鴻濛汞鼎開貝闕珠宮生睇眄 馮夷河伯送風雷時危兵甲猶如許 誰挽滄波洗得回 萬里滄溟掃翳昏 乾坤初闢坎離門衆峯父祖皆相揖 高頂星辰却可捫驅石漫傳秦帝跡 割腸誰慰楚臣魂桑田亦是須臾事 賊滅時平海水飜 해석目力東收碧海來목력동수벽해래눈의 힘을 동쪽으로 거두니 푸른 바다가 오고,茫茫溟渤在亭臺망망명발재정대아득한 바다에 누대가 있네.二儀高下輪輿轉이의고하륜여전음양이 오르내리더니 수레바퀴 구르고,太極鴻濛汞鼎開태극홍몽홍정개태극이 열리기 전이라 수은 솥이 열리네.貝闕珠宮生睇眄패궐주궁생제면진주조개 궁궐이 얼핏 보니 생겨났고馮夷河伯送風雷풍이하백송풍뢰해신(海神) 하백이 바람과 우레 보내주네.時危兵甲猶如許시위병갑유여허시기는 위태롭고 병사들 오히려 이와 같으니誰挽滄波..
또한 좋지 아니한가불역쾌재행(不亦快哉行) 정약용(丁若鏞) 跨月蒸淋積穢氛 四肢無力度朝曛 新秋碧落澄寥廓 端軸都無一點雲 不亦快哉 疊石橫堤碧澗隈 盈盈滀水鬱盤迴 長鑱起作囊沙決 澎湃奔流勢若雷 不亦快哉 蒼鷹鎖翮困長饑 林末毰毸倦却歸 好就朔風初解緤 碧天如水盡情飛 不亦快哉 客舟咿嘎汎晴江 閒看盤渦浴鳥雙 正到急湍投下處 涼颸拂拂洒篷牕 不亦快哉 →해석보기 岧嶢絶頂倦遊筇 雲霧重重下界封 向晚西風吹白日 一時呈露萬千峰 不亦快哉 羸驂局促歷巉巖 石角林梢破客衫 下馬登舟前路穩 夕陽高揭順風帆 不亦快哉 騷騷木葉下江臯 黃黑天光蹴素濤 衣帶飄颻風裏立 怳疑仙鶴刷霜毛 不亦快哉 鄰人屋角障庭心 涼日無風晴日陰 請買百金纔毀去 眼前無數得遙岑 不亦快哉 →해석보기 支離長夏困朱炎 濈濈蕉衫背汗沾 洒落風來山雨急 一時巖壑掛氷簾 不亦快哉 淸宵巖壑寂無聲 山鬼安棲獸不驚 挑取石頭如..
사람을 인으로 대하고 사물을 사랑하는 방법 애물의(愛物義) 김시습(金時習) 각각의 타고 난 본성을 이루도록 하는 것 或問於余曰: “愛物之道奈何?” 曰: “不過各遂其性而已.” 『易』曰: “天地之大德曰: ‘生.’” 夫生生者, 天地之大德, 而欲生者, 萬物之本性. 故因萬物欲生之本性, 體天地生生之大德, 使物各遂其性, 而化育於深仁厚澤之中而已. 사물을 인하게 대우하는 방법 請詳論之, 人與物共生天地大化之間, 而民吾同胞, 物吾與也, 故人爲最, 物其次焉. 君子之於人也, 愛之而勿仁, 於物也, 仁之而勿愛. 語其仁之也, 則數罟不入洿池, 斧斤以時入山林, 魚不滿尺, 市不得鬻, 不麛卵, 祝綱失禽, 釣而不綱, 弋不射宿. 故『詩』曰: “彼茁者葭, 壹發五豝, 于嗟乎騶虞.”是也. 사물을 사랑하지 않는 방법 語其勿愛也, 則舜使益焚山澤, 驅虎..
임금이여 그대들이 임금된 까닭을 생각하라애민의(愛民義) 김시습(金時習) 임금의 가치는 백성들에 의해 결정된다『書』曰: “民惟邦本, 本固邦寧” 大抵民之推戴而以生者, 雖賴於君, 而君之莅御以使者, 實惟民庶. 民心歸附, 則可以萬世而爲君主; 民心離散, 則不待一夕而爲匹夫. 君主匹夫之間, 不啻豪釐之相隔, 可不愼哉. 임금아, 너가 즐기는 모든 것이 백성의 고혈이란다是故, 倉廩府庫, 民之體也; 衣裳冠履, 民之皮也; 酒食飮膳, 民之膏也; 宮室車馬, 民之力也; 貢賦器用, 民之血也 民出什一以奉乎上者, 欲使元后用其聰明, 以治乎我也. 故人主進膳, 則思民之得食如我乎; 御衣則思民之得衣如我乎. 乃至居宮室而思萬姓之按堵, 御車輿而思萬姓之和慶. 故曰: “爾服爾食, 民膏民脂.” 平常供御, 可矜可憫. 豈可妄作無益, 煩力役, 奪民時, 起怨咨, ..
유학적 관점에서 보는 귀신론귀신설(神鬼說) 김시습(金時習) 기운이 천지 사이를 누비며 온갖 게 만들어진다天地之間, 惟一氣橐籥耳. 此理有屈有伸, 有盈有虛. 屈伸者, 妙也; 盈虛者, 道也. 伸則盈而屈則虛, 盈則出而虛則歸, 出則曰神而歸則曰鬼. 其實理則一, 而其分則殊. 其循環往復, 榮華枯落, 造化之迹莫非二氣消長之良能也. 귀신의 체(體)ㆍ덕(德)ㆍ용(用)ㆍ기(氣)而其體則誠實而無妄, 其德則體物而不可遺, 其用則洋洋乎如在其上. 如在其左右, 有以使人爲昭明, 焄蒿悽愴. 其氣則天地之正氣也. 귀신에게 올바로 제사지내는 법故神不享非禮. 其至誠者, 天地之道也, 故非其鬼而祭之, 諂也. 雖曰: “享多儀, 儀不及物.” 爲之籩豆ㆍ簠簋ㆍ俎几ㆍ樽爵, 爲之升降拜揖周旋進退. 爲之琴瑟笙簧鍾鼓柷敔. 器則天地名分自然之器, 儀則天地尊卑自然之儀, 聲則..
양사룡전(梁四龍傳) 이기발(李起浡) 도입 1. 알쏭달쏭한 하늘 漠漠者天, 人皆曰: ‘不可信.’ 必就孔子不得位, 顔淵不得壽, 而得之者乃反跖蹻也. 爲之辭, 一切置之漠漠而不悟. 固天所以自致者, 不可深斥人爲惑. 然天時又有不漠漠者, 其禍之而武乙震死, 福之而張氏得金, 豈天終不可信? 而宜歸之漠漠然不足恤者, 特其酬酢不如人一一也. 도입 2. 가문 중에 불어난 냇물 無心子曰: 歲乙酉, 天大旱, 湖南特甚, 湖之完爲尤甚. 自春徂夏, 無一雨, 完一境, 無燥濕皆焦. 完之水有四, 而其源之最淺短者, 完之南上流, 綿巖之川也. 餘三川長且大, 而其渴且久焉, 則其源之淺短者, 宜若可知矣. 而綿巖之水獨日滋, 民引而灌之, 西北至五十有餘里, 民不憂而禾長畞, 農夫大悅, 完人得免流離. 본사 1. 하늘에 보답하려 오이를 베풀다 人皆傳上流有一人, 天性甚..
꿀잠의 힘 매변(寐辨) 이만용(李晩用) 海堂之客, 有楊州李生者, 年少而才銳, 海堂以詩道授之, 往往作佳語, 海堂見輒歎賞, 因勸其勤學. 一日李生困於寐, 至晡不起, 海堂作寐戒一則諷之, 其文辭暢而理達, 足警人而感之矣. 余本渴睡漢耳, 玆爲李生一辨之. 吾知天下之樂, 惟身逸而心閒者耳. 故以巢ㆍ由視之, 堯舜勞矣; 以沮溺視之, 夫子厄矣; 以綺甪視之, 秦楚㥘矣. 以萬古之聖, 百世之雄, 猶有遜於匹夫者何? 此憂而彼樂也. 人於世, 與憂俱生, 生有其年, 則無憂而死者幾希, 死而後無憂焉. 吾於寐, 又知之, 夫一日之內, 或悲或喜, 或啼或笑, 或驚或懼之事, 寐便休矣. 然非至人, 則方其寐也, 因想生夢, 漁者夢魚, 樵者夢蕉, 飢夢飯, 富夢財, 貴夢車, 羇人遷客之夢家鄕者. 皆艶其樂, 而終不離於憂也. 惟身逸心閒者, 夢亦如身心焉, 無情慾無形役,..
돗자리 짜는 이야기 직석설(織席說) 김낙행(金樂行, 1708~66) 俚謔云: ‘村措大少習科文, 不成名, 爲風月, 又稍衰則業織席而遂老死.’ 蓋賤侮之言也. 而遠於儒雅, 損於風致, 織席其甚者也, 故尤鄙下之, 爲窮老者之終事. 人如是而終, 誠可哀已, 然亦循其分而已矣, 不必遽非笑之也. 今余科文風月, 皆非所事, 寓居山中, 其窮益甚, 耕耘樵採, 乃其分也, 况織席之不甚費筋力者哉? 家人悶余之徒食而無所用心, 乞席材於其兄弟家, 強要之. 且請隣翁授其法, 余不獲已, 抑而爲之, 始也手澁而心不入, 甚艱以遲, 終日而得寸焉. 旣日久稍熟, 措手自便捷, 心與法涵. 往往顧語傍人, 而經緯錯綜, 皆順其勢而不差, 於是乎忘其苦而耽好之. 非飮食便旋及尊客來則不輟焉, 計自朝至暮, 可得尺, 自能者視之, 猶鈍矣, 而在余可謂大進矣. 天下之短於才而拙於謀者, 莫..
공자의 침묵을 실천하려는 그대에게 묵재기(默齋記) 송병순(宋秉珣) 薛文淸嘗謂: “萬言萬當, 不如一黙.” 余竊疑之. 蓋人之語默, 當言則言, 當黙則黙, 方有儀則. 而當黙而言, 當言而黙, 則固不可耳. 然抛郤其當不當, 而一主乎黙, 則不幾於釋氏之寂滅乎! 彼無聲無臭者, 天也, 而雷聲未嘗不自幽黙中發, 則亦非一於黙也. 夫人之於天, 合其德同其則者, 惟聖人能然. 故朱子「感興」詩云: ‘玄天幽且黙, 仲尼欲無言.’ 觀此, 亦可見聖人之語黙有時也. 大嶺之南, 李君希彦顔其齋曰黙, 要余識之. 希彦乎! 子欲學仲尼者歟? 抑效文淸者歟? 余欲叩其志. 噫! 近日邪說蠭起, 人心流蕩, 溢世啾喧, 皆背義趨利者, 則子其懲於此而退託於黙歟? 然則固知子之志慕在仲尼之欲無言乎! 又有一可叩者, 徒有志慕聖人, 而若於謨訓, 無沈潛體驗之工, 則其黙也, 只閉口而已, ..
송경운전(宋慶雲傳) 이기발(李起浡) 도입. 최고의 선은 그 마음을 다하는 것이다 凡所謂善, 孰不可尙? 然莫大於盡其心也. 盡其心者, 其心公也; 其心公者, 其中化也, 其中化者, 其得乎天者不害也. 苟得乎天者不害, 其發也必不獨優於己, 將有以及乎天下國家也, 尙孰加於此者乎? 見其地卑, 而名不著於人也. 謂不然者, 豈知人乎? 豈至言乎? 본사 1. 두 사람의 인연 無心子曰. 余嘗以弊布衣, 乘羸馬, 無蒼頭而獨傍完城西, 登冰峙, 時則春三月上旬, 桃李滿城中. 遙見一丈夫, 負竹杖着短褐, 放歌而徐行, 其鬢髮白如雪. 聽其歌曰: “江湖有期約, 十年奔走. 不知之白鷗, 謂我遲來. 聖恩最至重, 擬報而來.” 及至馬頭, 乃熟視之, 長安舊樂師宋慶雲也. 無心子嘗有分, 笑而語曰: “竹杖老也, 短褐貧也, 不騎無馬也, 至於放歌何也?” 慶雲乃揚眉而對曰..
자유분방하되 방종으로 흐르지 마시라송권생상원소서(送權生尙遠小序) 이식(李植) 잘 났지만 이익에 태연한 사람, 명성에 태연한 사람大抵有所挾而無所求, 難矣. 讀書以爲博, 攻詞以爲工, 其爲挾也, 豈淺尠哉? 有是挾而能不求利祿, 固難. 卽不求利祿者, 有矣, 而能不求名聞, 爲尤難. 持此二難, 久而不渝, 困窮而自泰, 斯又古今之至難也. 세속에 얽매지 않은 진짜 사나이 권생永嘉權生尙遠, 吾所謂博文攻詞人也. 然而不習科業, 而有時乎應擧, 自喜詞學, 而不期乎名世. 敝褐破鞋, 浮遊城市. 悠悠忽忽, 土苴形骸. 間或傲言高談, 未嘗降辭色以少徇時好, 雖出入士友間, 寡與親善, 或見掃跡而去之. 자유분방한 그대여 그래도 이단으론 흐르지 마시라噫! 生於其所挾與其遭, 非有所利之, 而安之若命, 豈吾所謂古今之至難者, 非耶? 雖然君子進德修業, 盡吾..
목은에 영향을 끼친 이들과 준 이들 목은시정선서(牧隱詩精選序) 서거정(徐居正) 高麗氏開國, 文治大興. 金文烈富軾ㆍ鄭諫議知常唱之於前, 陳補闕澕ㆍ李大諫仁老ㆍ李學士奎報ㆍ金員外克己ㆍ林上舍椿, 齊名一時, 一詩道之中興也. 益齋李文忠公復起而振之, 稼亭李文孝公繼之. 先生, 稼亭之子, 益老之門弟, 其文章有家法淵源之正. 早擢元朝制科, 周旋翰院, 所得益深. 斂而東還, 敷爲文章, 措諸事業, 譽望蔚然. 元學士歐陽文忠公嘗一見先生, 深加器重, 有海外傳鉢之句, 先生之名, 隱然聞於天下. 蓋先生之文, 本之以六經, 參之以史漢, 潤色之以諸子. 鼓舞動蘯, 滃然而爲雲雷, 爛然而爲星斗, 霈然而爲江河, 躍然而爲龍虎, 變態無窮. 如晴躋終南, 衆皺前陳, 不暇應接者矣, 一時文人才士洽然宗之, 薰然浸郁. 雄峻如鄭圃隱, 簡潔如李陶隱, 豪邁如鄭三峯, 典雅如權..
십잠(十箴) 성현(成俔) 경천(敬天) 勿謂蒼蒼 天實有知 勿謂冥冥 天維顯思 作善降祥 福祿如茨 不善降禍 未免誅夷 凡百君子 敬之敬之 有嚴上帝 日監在兹 신독(愼獨) 勿謂閒居 人所不知 鬼神難誣 吾心難欺 屋漏之間 雖曰隱微 十手所指 如弩發機 欲蓋彌昌 言與行違 必愼其獨 無或作非 정심(正心) 心爲身主 與生俱生 澹然方寸 本是虛明 一塵之集 與接爲構 一念之差 乃禽乃獸 涵養性情 興發善端 火燃泉達 擴充何難 과욕(寡慾) 人之有身 爲慾所侵 紛紛擾擾 茅塞于心 能寡而寡 不亡者存 不知所寡 雖存猶昏 克祛己私 勿使滋蔓 竟罹其殃 誰咎誰怨 개과(改過) 君子之過 如日食旣 始雖遭傷 改之爲貴 有玷斯磨 有疾斯諱 兢兢夔夔 益加嚴畏 不憚不吝 勿悖吾氣 不遠祗復 君子之謂 지치(知恥) 心之羞愧 惟義之爲 恥不若人 乃行之宜 與惡人立 常懷忸怩 以暗來投 其顙有泚 衣錦..
백성이 문제가 아니라 관리가 문제다 민심편(民心篇) 신흠(申欽) 악한 관리가 하라는 대로 하기에 백성은 착하다 仕于朝者有恒言矣. 不曰民心惡則必曰民俗薄. 民心固善矣, 民俗固厚矣, 人顧不之省也. 何以知之? 以宰民者知之. 今之宰民者, 非以賄用, 卽權倖之家也; 非權倖之家, 卽權倖之家之所拔也. 始乎賄者, 常卒乎墨; 始乎權倖者, 常卒乎虐, 墨然後賄償矣, 虐然後勢彰矣. 宰之者墨而爲所宰者未聞有旅拒, 宰之者虐而爲所宰者未聞有携貳, 朝而令曰民出麻絲則出之, 夕而令曰民出穀粟則出之, 八口不厭糠籺, 而奉上則無敢嗇也. 冤氣塡於腷臆, 而期會則無敢慢也. 吾未知爲民者惡乎? 宰民者惡乎? 爲民者薄乎? 宰民者薄乎? 民居下宰居上, 以下而論上, 雖直不售; 據上而論下, 雖讆莫驗, 上與下之不得其情久矣 순박한 백성들 탓만하며 악덕을 행하는 관리들 古者..
가혹한 세금으로 백성을 괴롭히는 정치에 대해 호민론(豪民論) 허균(許筠) 백성의 세 부류 天下之所可畏者, 唯民而已. 民之可畏, 有甚於水火虎豹. 在上者方且狎馴而虐使之, 抑獨何哉? 夫可與樂成而拘於所常見者, 循循然奉法役於上者, 恒民也, 恒民不足畏也. 厲取之而剝膚椎髓, 竭其廬入地出, 以供无窮之求, 愁嘆咄嗟, 咎其上者, 怨民也, 怨民不必畏也. 潛蹤屠販之中, 陰蓄異心, 僻倪天地間, 幸時之有故, 欲售其願者, 豪民也. 夫豪民者, 大可畏也. 호민이 틈을 타면 원민과 항민이 따른다 豪民, 伺國之釁, 覘事機之可乘, 奮臂一呼於壟畝之上, 則彼怨民者聞聲而集, 不謀而同唱. 彼恒民者, 亦求其所以生, 不得不鋤耰棘矜往從之, 以誅无道也. 백성을 괴롭혀 나라가 망하다 秦之亡也, 以勝ㆍ廣, 而漢氏之亂, 亦因黃巾. 唐之衰而王仙芝ㆍ黃巢乘之, 卒..
인재를 버리는 세태에 대해유재론(遺才論) 허균(許筠) 옛날엔 사람을 능력으로 등용했다. 爲國家者, 所與共理天職, 非才莫可也. 天之生才, 原爲一代之用. 而其生之也, 不以貴望而豐其賦, 不以側陋而嗇其稟. 故古先哲辟知其然也 ,或求之於草野之中, 或拔之於行伍, 或擢於降虜敗亡之將, 或擧賊或用莞庫士. 用之者咸適其宜, 而見用者亦各展其才, 國以蒙福, 而治之日隆, 用此道也. 인재가 버려지고 있다以天下之大, 猶慮其才之或遺, 兢兢然側席而思, 據饋而歎. 奈何山林草澤, 懷寶不售者比比; 而英俊沈於下僚, 卒不得試其抱負者, 亦多有之? 信乎才之難悉得, 而用之亦難盡也. 명망가들과 과거출신들이 인재등용을 막다我國地褊, 人才罕出, 蓋自昔而患之矣. 入我朝, 用人之途尤狹. 非世胄華望, 不得通顯仕, 而巖穴草茆之士, 則雖有奇才, 抑鬱而不之用; 非科目..
과거의 시만을 숭상하는 세태를 비판하다시변(詩辨) 허균(許筠) 오늘날 사람들이 기존 시인을 이길 수 있다고 하는 말에 대해今之詩者, 高則漢魏六朝, 次則開天大曆, 最下者乃稱蘇ㆍ陳, 咸自謂可奪其位也, 斯妄也已.是不過掇拾其語意, 蹈襲剽盜以自衒者, 烏足語詩道也哉. 각자가 일가를 이룬 것으로 모방은 의미가 없다三百篇自謂三百篇, 漢自漢, 魏晉六朝, 自魏晉六朝, 唐自爲唐, 蘇與陳亦自爲蘇與陳, 豈相倣傚而出一律耶. 蓋各自成一家, 而後方可謂至矣. 間或有擬作, 亦試爲之, 以備一體, 非恒然也. 其於人脚跟下爲生活者, 非豪傑也. 제대로 된 시의 조건然則詩何如而可造極耶? 曰: “先趣立意, 次格命語, 句活字圓, 音亮節緊, 而取材以緯之, 不犯正位, 不着色相. 叩之鏗如, 卽之絢如, 抑之而淵深, 高之而騰踔, 闔而雅徤, 闢而豪縱, 放之而淋..
고문을 쓴다는 건 답습하는 게 아닌 자신의 글을 쓴다는 것문설(文說) 허균(許筠) 문장이란 의사를 전달하면 그뿐客問於許子曰: “當世之稱能古文者, 必以子爲巨擘. 吾見之其文, 雖若浩汗無涯涘, 而率用常語, 文從字順, 讀之則如開口見咽. 毋論解不解者, 輒無礙滯, 業古文者果若是乎?” 余曰: “此其爲古也. 子見虞夏之『典謨』ㆍ商之『訓』ㆍ周之『三誓』ㆍ『武成』ㆍ『洪範』, 皆文之至者, 亦見有鉤章棘句, 以險辭爭工者否. 子曰: ‘辭達而已矣.’ 古者文以通上下之情, 以載其道而傳. 故明白正大, 諄切丁寧, 使聞者曉然知其指意, 此文之用也. 當三代六經聖人之書與夫黃ㆍ老諸子百家語, 皆爲論其道. 故其文易曉, 而文自古雅. 降及後世, 文與道爲二, 而始有鉤章棘句, 以險辭巧語, 爭其工者, 此文之厄也, 非文之至. 吾雖駑, 不願爲也. 故辭達爲主, 以平平..
이몽양ㆍ하경명ㆍ이반룡ㆍ왕세정, 네 명의 명나라 시를 평가하다명사가시선서(明四家詩選序) 허균(許筠) 한시의 표절을 비판하다明人作詩者, 輒曰: “吾盛唐也, 吾李ㆍ杜也, 吾六朝也, 吾漢魏也.” 自相標榜, 皆以爲可主文盟. 以余觀之, 或剽其語, 或襲其意, 俱不免屋下架屋, 而誇以自大, 其不幾於夜郞王耶. 모방하는 자의 병폐弘正之間, 光嶽氣全, 俊民蔚興, 時則北地, 李夢陽, 立幟; 信陽, 何景明, 嗣筏, 鏗鏘炳烺, 殆與李唐之盛, 爭其銖累, 詎不韙哉. 流風相尙, 天下靡然, 遂有體無完膚之誚, 是模擬者之過也, 奚病於作者. 명나라 한시계의 뛰어난 작가歷下生, 李攀龍, 以卓犖踔厲之才, 鵲起而振之. 吳郡, 王世貞, 遂繼以代興, 岳峙中原, 傲倪千古, 直與漢兩司馬爭衡於百代之下, 吁亦异哉.之四鉅公, 實天畀之以才, 使鳴我明之盛. 其所制..
고정관념을 뛰어넘어 벗을 사귀었던 세 친구의 이야기 회우록서(會友錄序) 박지원(朴趾源) 조선의 지형과 학문적 풍토의 편협함 遊乎三韓三十六都之地, 東臨滄海, 與天無極, 而名山巨嶽, 根盤其中, 野鮮百里之闢, 邑無千室之聚, 其爲地也亦已狹矣. 非古之所謂楊ㆍ墨ㆍ老ㆍ佛而議論之家四焉, 非古之所謂士農工商而名分之家四焉. 是惟所賢者不同耳, 議論之互激而異於秦越; 是惟所處者有差耳, 名分之較畫而嚴於華夷, 嫌於形跡 則相聞而不相知, 拘於等威, 則相交而不敢友. 其里閈同也, 族類同也, 言語衣冠其與我異者幾希矣, 旣不相知, 相與爲婚姻乎? 不敢友焉, 相與爲謀道乎? 是數家者, 漠然數百年之間秦越華夷焉, 比屋連墻而居矣, 其俗又何其隘也. 연행길에서 만난 3명의 중국 친구들 洪君德保, 嘗一朝踔一騎, 從使者而至中國, 彷徨乎街市之間, 屛營於側陋之中, ..
같은 시대에 사는 벗이어도 볼 수가 없구나 회성원집발(繪聲園集跋) 박지원(朴趾源) 벗은 제2의 나, 또는 주선인 古之言朋友者, 或稱第二五, 或稱周旋人. 是故造字者, 羽借爲朋, 手ㆍ又爲友. 言若鳥之兩羽而人之有兩手也. 맹자, 현재의 지기가 없다면 먼 과거에서 찾아라 然而說者曰尙友千古, 鬱陶哉是言也! 千古之人, 已化爲飄塵冷風, 則其將誰爲吾第二? 誰爲吾周旋耶? 양자운, 현재의 지기(知己)가 없다면 먼 미래에서 찾아라 揚子雲旣不得當世之知己 則慨然欲俟千歲之子雲. 吾邦之趙寶汝嗤之曰: “吾讀吾『玄』而目視之, 目爲子雲, 耳聆之耳爲子雲, 手舞足蹈, 各一子雲, 何必待千歲之遠哉?” 벗은 과거나 미래가 아닌 현재에서 찾아야 한다 吾復鬱陶焉, 直欲發狂於斯言曰: “目有時而不睹, 耳有時而不聞, 則所謂舞蹈之子雲, 其將孰令聆之孰令視之?..
뛰어난 능력에도 조선에선 인정받지 못하고 중국에서 인정받던 내 친구 홍대용 홍덕보묘지명(洪德保墓誌銘) 박지원(朴趾源) 대용의 친구 용주에게 부고를 전하려 중국 가는 사람에게 전하다 德保歿越三日, 客有從年使入中國者, 路當過三河. 三河有德保之友曰: “孫有義號蓉洲.” 曩歲, 余自燕還, 爲訪蓉洲不遇, 留書俱道德保作官南土, 且留土物數事, 寄意而歸. 蓉洲發書, 當知吾德保友也. 乃屬客赴之曰: “乾隆癸卯月日, 朝鮮朴趾源頓首白蓉洲足下, 敝邦前任榮川郡守南陽洪湛軒諱大容字德保, 以本年十月廿三日酉時不起. 平昔無恙, 忽風喎噤瘖, 須臾至此. 得年五十三, 孤子薳, 哭擗未可手書自赴, 且大江以南, 便信無階. 並祈替此轉赴吳中, 使天下知己, 得其亡日, 幽明之間, 足以不恨.” 권력에 욕심도 없이 창의적으로 과학기구를 만든 대용 旣送客, 手自..
욕심, 욕망 모두 버리고 일가를 이룬 전문가들 형언도필첩서(炯言挑筆帖序) 박지원(朴趾源) 득실을 맘에 두지 않아 대서예가가 된 최흥효 雖小技有所忘, 然後能成, 而况大道乎. 崔興孝通國之善書者也. 甞赴擧書卷, 得一字, 類王羲之坐視, 終日忍不能捨, 懷卷而歸, 是可謂得失不存於心耳. 영욕을 잊고 그림에 몰두한 이징 李澄幼登樓而習畵, 家失其所在, 三日乃得. 父怒而笞之, 泣引淚而成鳥, 此可謂忘榮辱於畵者也. 죽을 상황에서도 노래로 감동시킨 학산수 鶴山守通國之善歌者也. 入山肄, 每一闋, 拾沙投屐, 滿屐乃歸. 甞遇盜將殺之, 倚風而歌, 群盜莫不感激泣下者, 此所謂死生不入於心. 얽매임 없이 자기의 기술을 연마하라 吾始聞之歎曰: “夫大道散久矣, 吾未見好賢如好色者也. 彼以爲技足以易其生, 噫! 朝聞道夕死可也. 桃隱書『炯菴叢言』凡十三..
여름밤에 잔치를 열었던 기록 하야연기(夏夜讌記) 박지원(朴趾源) 二十二日, 與麯翁步至湛軒, 風舞夜至. 湛軒爲瑟, 風舞琴而和之, 麯翁不冠而歌. 夜深, 流雲四綴, 暑氣乍退, 絃聲益淸. 左右靜黙, 如丹家之內觀臟神, 定僧之頓悟前生. 夫自反而直, 三軍必往. 麯翁當其歌時, 解衣磅礴, 旁若無人者. 梅宕嘗見簷間, 老蛛布網, 喜而謂余曰: “妙哉! 有時遲疑, 若其思也; 有時揮霍, 若有得也; 如蒔麥之踵, 如按琴之指.” 今湛軒與風舞相和也, 吾得老蛛之解矣. 去年夏, 余嘗至湛軒, 湛軒方與師延論琴. 時天欲雨, 東方天際, 雲色如墨, 一雷則可以龍矣. 旣而長雷去天, 湛軒謂延曰: “此屬何聲?” 遂援琴而諧之. 余遂作「天雷操」. 『燕巖集』 卷之三 해석 二十二日, 與麯翁步至湛軒, 風舞夜至. 22일에 국옹【국옹(麯翁) : 누구의 호인지 알 수 ..
인재를 알아볼 안목조차 없는 더런 세상에 대해 필세설(筆洗說) 박지원(朴趾源) 3년 동안이나 팔리지 않던 그릇이 결국 비싼 값에 팔리다 有鬻古器而三年不售者. 質頑然石也, 以爲飮器也, 則外窳而內卷, 垢膩之掩其光也. 遍國中, 未有顧之者, 更歷富貴家, 價愈益下, 至數百. 一日有持而示徐君汝五者. 汝五曰: “此筆洗也. 石産於福州壽山五花石坑, 次玉而如珉者也.” 不問値高下, 立與八千. 刮其垢, 而昔之頑然者, 乃石之暈, 而艾葉綠也. 形之窳且卷者, 如秋荷之枯, 而卷其葉也, 遂爲國中之名器. 汝五曰: “天下之物, 其有不器者乎? 顧所以用得其當耳. 夫毫之含墨, 膠固則易禿, 常滌其墨而柔之, 此其器之爲筆洗也.” 제 가치를 몰라보는 세태 夫書畵古董, 有收藏鑑賞二家. 無鑑賞而徒收藏者, 富而只信其耳者也; 善乎鑑賞而不能收藏者, 貧而不負其..
취하여 운종교를 거닐던 기록 취답운종교기(醉踏雲從橋記) 박지원(朴趾源) 하릴없이 밤거리를 헤매는 연암의 무리들 孟秋十三日夜, 朴聖彥與李聖緯ㆍ弟聖欽ㆍ元若虛ㆍ呂生ㆍ鄭生ㆍ童子見龍, 歷携李懋官至. 時徐參判元德先至在座. 聖彥盤足橫肱坐, 數視夜, 口言辭去. 然故久坐, 左右視莫肯先起者, 元德亦殊無去意, 則聖彥遂引諸君俱去. 久之童子還言 “客已當去, 諸君散步街上, 待子爲酒.” 元德笑曰: “非秦者逐.” 遂起相携, 步出街上. 聖彥罵曰: “月明, 長者臨門, 不置酒爲懽, 獨留貴人語, 奈何令長者久露立?” 余謝不敏, 聖彥囊出五十錢沽酒. 少醉, 因出雲從衢, 步月鍾閣下, 時夜鼓已下三更四點. 月益明, 人影長皆十丈, 自顧凜然可怖. 남 같지 않은, 아니 우리의 모습이 투영된 호백이 街上群狗亂嘷, 有獒東來, 白色而瘦. 衆環而撫之, 喜搖其尾,..
창신만을 추구하는 제가에게 법고를 권하다 초정집서(楚亭集序) 박지원(朴趾源) 글은 옛 것을 본떠야 써야 하나? 새로운 것을 써야 하나? 爲文章如之何? 論者曰: ‘必法古.’ 世遂有儗摹倣像而不之耻者. 是王莽之周官, 足以制禮樂; 陽貨之貌類, 可爲萬世師耳. 法古寧可爲也. 然則刱新可乎? 世遂有恠誕淫僻而不知懼者. 是三丈之木, 賢於關石; 而延年之聲, 可登淸廟矣. 刱新寧可爲也. 夫然則如之何其可也? 吾將奈何無其已乎? 글은 옛 것에서 새것을 만들어내는 것이다 噫! 法古者, 病泥跡; 刱新者, 患不經. 苟能法古而知變, 刱新而能典, 今之文, 猶古之文也. 古之人有善讀書者, 公明宣是已; 古之人有善爲文者, 淮陰侯是已, 何者? 公明宣學於曾子, 三年不讀書. 曾子問之, 對曰: “宣見夫子之居庭, 見夫子之應賓客, 見夫子之居朝廷也, 學而未能,..
영숙 백동수가 기린협으로 들어가는 걸 전송하며 쓰다 증백영숙입기린협서(贈白永叔入麒麟峽序) 박지원(朴趾源) 무사 백동수의 근실했던 삶 永叔將家子. 其先有以忠死國者, 至今士大夫悲之. 永叔工篆隸嫺掌故, 年少善騎射, 中武擧. 雖爵祿拘於時命, 其忠君死國之志, 有足以繼其祖烈, 而不媿其士大夫也. 내가 연암협에 들어갈 때 걱정해주던 영숙의 모습 嗟呼! 永叔胡爲乎盡室穢貊之鄕? 永叔嘗爲我相居於金川之燕巖峽. 山深路阻, 終日行, 不逢一人. 相與立馬於蘆葦之中, 以鞭區其高阜, 曰: “彼可籬而桑也, 火葦而田, 歲可粟千石.” 試敲鐵, 因風縱火, 雉格格驚飛, 小麞逸於前. 奮臂追之, 隔溪而還. 仍相視而笑曰: “人生不百年, 安能鬱鬱木石居食粟雉兎者爲哉?” 너 떠나는 게 맘 아프지만 나 자신의 상홍이 더 맘 아프기에 슬퍼하진 않네 今永叔將居..
배우고자 하는 마음으로 스승을 찾아 떠난 계우에게 증계우서(贈季雨序) 박지원(朴趾源) 스승과 제자의 도가 없어졌다 師道廢久矣. 自仲尼歿而孟子已下, 皆未得以師道自居. 彼曰師曰弟子云爾者, 未必眞知其師之賢, 則信道未必篤, 道旣不足以必信, 則師斯不足以爲尊矣. 공자, 제자를 스스럼없이 대하다 孔子呼門弟子, 必稱參ㆍ回ㆍ賜ㆍ商ㆍ赤ㆍ由ㆍ雍而爾汝之, 夫斥名而爾汝者, 自子弟逾下, 而至廝役僕隷, 擧得而施之也. 門人疑孔子服, 子貢曰: “昔子喪顔淵, 若喪子而無服, 今門人若喪父而無服.” 門人之於師猶父子, 然其不信矣乎. 請車則不許, 厚葬則歎, 欲其同乎子也; 詩禮之外, 未有異聞, 欲其同乎門人也. 孟子未甞名門弟子, 必稱子. 子者尊之之辭, 由敵已上, 可以至君公父師, 施之門人, 則此友與友之道也. 七十子之徒, 有稱其師賢於堯舜而不爲僭. 彼旣..
대나무를 외치다 대나무가 된 사내를 위한 헌사 죽오기(竹塢記) 박지원(朴趾源) 진부해진 대나무에 대한 글들 古來讚竹者甚多. 自『詩』之「淇澳」, 歌咏之嗟嘆之不足, 至有‘君’而尊之者, 竹遂以病矣. 然而天下之以竹爲號者不止, 又從以文而記之. 則雖使蔡倫削牘, 蒙恬束毫, 不離乎風霜不變之操, 䟽簡偃仰之態. 頭白汗靑, 盡屬飣餖, 竹於是乎餒矣. 顧以余之不文, 讚竹之德性, 以形容竹之聲色, 作爲詩文者多矣, 更何能文爲. ‘대나문 언덕’이란 호를 짓고서 기문을 부탁하다 梁君養直, 介直有志節者也. 甞自號曰‘竹塢’, 而扁其所居之室, 請余爲記. 而果未有以應之者, 吾於竹, 誠有所病焉故耳. 뭘 지어도 너무 뻔해질 대나무에 대한 글, 죽어도 못 짓네 余笑曰: “君改其額, 文當立就爾.” 爲誦古今人奇號韻題之如烟湘閣ㆍ百尺梧桐閣ㆍ杏花春雨林亭ㆍ小..
개성 지식인 양인수씨의 일일 주영염수재기(晝永簾垂齋記) 박지원(朴趾源) 주영염수재의 모습 晝永簾垂齋, 梁君仁叟草堂也. 齋在古松蒼壁之下, 凡八楹, 隔其奧, 爲深房; 踈其欞, 爲暢軒. 高而爲層樓, 穩而爲夾室, 周以竹欄, 覆以茅茨, 右圓牖, 左交窓. 軆微事備, 冬明夏陰. 齋後有雪梨十餘株, 竹扉內外, 皆古杏緋桃. 白石鋪前, 淸流激激, 引遠泉入階下, 爲方池. 나태한 양인수의 하루 梁君性懶而好深居, 倦至輒下簾, 頹然臥乎烏几一琴一劒一香爐一酒壺一茶竈一古書畵軸一碁局一之間. 每睡起, 揭簾看日早晏, 則階上樹陰乍轉, 籬下午鷄初唱矣. 於是乎據几看劒, 或弄琴數引, 細吸一盃, 以自暢懷. 或點香烹茗, 或展觀書畵, 或棋按古譜, 擺列數局已焉, 久來如納潮, 睫重若垂雲, 復頹然而臥. 客至入門, 則簾垂寂然, 落花滿庭, 簷鐸自鳴. 字呼主人三四..
글자엔 세상과 사람이 담겨있다 종북소선 자서(鍾北小選 自序) 박지원(朴趾源) 문장은 자연에 그대로 남아 유유히 전해져 왔다 嗟乎! 庖犧氏歿, 其文章散久矣. 然而蟲鬚花蘂, 石綠羽翠, 其文心不變. 鼎足壺腰, 日環月弦, 字體猶全. 其風雲雷電, 雨雪霜露, 與夫飛潛走躍, 笑啼鳴嘯, 而聲色情境, 至今自在. 그림과 글자는 천지 사이에서 나왔다 故不讀『易』則不知畵, 不知畵則不知文矣, 何則? 庖犧氏作『易』, 不過仰觀俯察, 奇偶加倍, 如是而畵矣. 蒼頡氏造字, 亦不過曲情盡形, 轉借象義, 如是而文矣. 글자엔 소리가 배어 있다 然則文有聲乎? 曰伊尹之大臣, 周公之叔父, 吾未聞其語也, 想其音則款款耳. 伯奇之孤子, 杞梁之寡妻, 吾未見其容也, 思其聲則懇懇耳. 글자에 스며든 색 文有色乎? 曰詩固有之. “衣錦褧衣, 裳錦褧裳,” “鬒髮如雲..
이홍재가 지은 문집엔 옛 문장이 실려 있다 자소집서(自笑集序) 박지원(朴趾源) 중국의 풍속이 사라져 연극마당에서나 찾아보게 되다 嗟乎! 禮失而求諸野, 其信矣乎. 今天下薙髮左袵, 則不識漢宮之威儀者, 已百有餘年矣. 獨於演戱之場, 像其烏帽團領玉帶象笏, 以爲戱笑. 嗟乎! 中原之遺老盡矣, 其有不掩面而不忍視之者歟. 亦有樂觀諸此, 而想像其遺制也歟. 옛 풍속은 기생에게만 남았고 지금 궁중의 제도는 원나라 때의 것이다 歲价之入燕也, 與吳人語, 吳人曰: “吾鄕有剃頭店, 榜之曰盛世樂事.” 因相視大噱, 己而潛然欲涕云. 吾聞而悲之曰: “習久則成性, 俗之習矣, 其可變乎哉? 東方婦人之服, 頗與此事相類. 舊制有帶, 而皆闊袖長裙, 及勝國末, 多尙元公主, 宮中髻服, 皆蒙古胡制. 于時士大夫爭慕宮樣, 遂以成風, 至今三四百載, 不變其制. 衫..
자신을 보존하는 최상의 방법과 최악의 방법 이존당기(以存堂記) 박지원(朴趾源) 장중거의 호탕한 성격 進士張仲擧, 魁傑人也. 身長八尺餘, 落落有氣岸, 不拘小節, 性嗜酒自豪, 乘醉多口語失. 以故鄕里厭苦之, 目之以狂生, 謗議溢於朋曺間. 장중거가 이존(以存)이란 당호를 걸고 비방을 막으려 하다 有欲以危法中之者, 仲擧亦自悔焉曰: “我其不容於世乎.” 思所以避謗遠害之道, 掃一室, 閉戶下簾而居, 大書‘以存’而顔其堂. 『易』曰: ‘龍蛇之蟄, 以存身’ 蓋取諸斯也. 一朝謝其所從飮酒徒曰: “子姑去. 吾將以存吾身.” 중거, 자신을 해치는 것이 외부에 있지 않고 내부에 있음을 알지 못한다 余聞而大笑曰: “仲擧存身之術止此, 則難乎免矣. 雖以曾子之篤敬, 終身所以服而誦之者何如也? 常若莫保其朝夕, 至死之日, 啓示手足, 始能自幸其全歸, ..
대대로 남기려 하지 말고 잘 빌려주길 유씨도서보서(柳氏圖書譜序) 박지원(朴趾源) 돌에 잘 새기던 연옥 連玉善刻章. 握石承膝, 側肩垂頤, 目之所瞬, 口之所吹, 蚕飮其墨, 不絶如絲. 聚吻進刀, 用力以眉, 旣而捧腰仰天而欷. 대대로 남기기 위해 새기다 懋官過而勞之曰: “子之攻堅也, 將以何爲?” 連玉曰: “夫天下之物, 各有其主. 有主則有信, 故十室之邑, 百夫之長, 亦有符印. 無主乃散, 無信乃亂. 我得暈石, 膚理膩沃, 方武一寸, 瑩然如玉. 獅蹲其鈕, 鞠乳獰吼, 鎭我文房, 綏厥四友. 我祖軒轅, 氏柳名璉, 文明爾雅, 鼎鼓鳥雲, 印我書秩, 遺我子孫, 無憂散佚, 百卷其全.” 화씨의 구슬도 만리장성까지 쌓아가며 지키려 했지만 지키지 못했다 懋官笑曰: “子以和氏之璧, 爲何如也?” 曰: “天下之至寶也.” 曰: “然. 昔秦皇帝旣..
조선의 노래를 담아내다 영처고서(嬰處稿序) 박지원(朴趾源) 이덕무의 시가 현재의 시라고 비판 받다 子佩曰: “陋哉! 懋官之爲詩也. 學古人而不見其似也. 曾毫髮之不類, 詎髣髴乎音聲? 安野人之鄙鄙, 樂時俗之瑣瑣, 乃今之詩也, 非古之詩也.” 지금이 옛날이 되고 같지 않음은 전범(典範)이 되리라 余聞而大喜曰: “此可以觀. 由古視今, 今誠卑矣. 古人自視, 未必自古. 當時觀者, 亦一今耳. 故日月滔滔, 風謠屢變, 朝而飮酒者, 夕去其帷, 千秋萬世, 從此以古矣. 然則今者對古之謂也, 似者方彼之辭也. 夫云似也似也, 彼則彼也, 方則非彼也, 吾未見其爲彼也 紙旣白矣, 墨不可以從白; 像雖肖矣, 畵不可以爲語. 영처고엔 어린아이의 진솔함이 담겨 있다 雩祀壇之下, 桃渚之衕, 靑甍而廟, 貌之渥丹而鬚儼然, 關公也. 士女患瘧, 納其牀下, 戄神..
편지글의 가치 영대정잉묵 자서(映帶亭賸墨 自序) 박지원(朴趾源) 아무 뜻도 없이 쓰는 상투적인 말들에 대해 (缺六十字.) 所謂右謹陳, 誠俚且穢. 獨不知世間操觚者何限. 印板總是餖飣餕餘, 則何傷於公格之頭辭發語之例套乎? 『堯典』之‘曰若稽古’, 『佛經』之‘如是我聞', 迺今時之右謹陳爾. 과거의 글들은 그 당시 편지글에서 배웠다 獨其聽禽春林, 聲聲各異, 閱寶海市, 件件皆新. 荷珠自圓, 楚璞不劚, 則此尺牘家之祖述『論語』, 泝源風雅, 其辭令則子産ㆍ叔向, 掌故則『新序』ㆍ『世說』, 其核實剴切, 不獨長策之賈傅, 執事之宣公爾. 지금의 작가들은 편지글의 가치를 모른다 彼一號古文辭, 則但知序記之爲宗, 架鑿虛譌, 挐挹浮濫. 指斥此等爲小家玅品, 明牕淨几, 睡餘支枕. 夫敬以禮立, 而嚴威儼慤, 非所以事親也. 若復廣張衣袖, 如見大賓, 略..
이루어질 수 없는 일에도 노력했던 송욱처럼 그대도 노력하게 염재기(念齋記) 박지원(朴趾源) 송욱 자신이 없어진 걸 알게 되다 宋旭醉宿, 朝日乃醒. 臥而聽之, 鳶嘶鵲吠, 車馬喧囂. 杵鳴籬下, 滌器廚中. 老幼叫笑, 婢僕叱咳. 凡戶外之事, 莫不辨之, 獨無其聲. 乃語矇矓曰: “家人俱在, 我何獨無?” 周目而視, 上衣在楎, 下衣在椸, 笠掛其壁, 帶懸椸頭. 書帙在案, 琴橫瑟立, 蛛絲縈樑, 蒼蠅附牖. 凡室中之物, 莫不俱在, 獨不自見. 急起而立, 視其寢處, 南枕而席, 衾見其裡. 於是謂旭發狂, 裸體而去, 甚悲憐之, 且罵且笑, 遂抱其衣冠, 欲往衣之, 遍求諸道, 不見宋旭. 이루어질 수 없는 일 = 송욱의 과거보기 遂占之東郭之瞽者, 瞽者占之曰: “西山大師, 斷纓散珠, 招彼訓狐, 爰計算之.” 圓者善走, 遇閾則止. 囊錢而賀曰: “..
평범한 이야기를 기록해야 하는 이유 순패서(旬稗序) 박지원(朴趾源) 나의 주변, 우리 일상을 담아내다 小川菴雜記域內風謠民彛方言俗技, 至於紙鷂有譜, 丱謎著解. 曲巷窮閭, 爛情熟態, 倚門鼓刀, 肩媚掌誓, 靡不蒐載, 各有條貫. 口舌之所難辨, 而必則形之; 志意之所未到, 而開卷輒有. 凡鷄鳴狗嘷, 虫翹蠡蠢, 盡得其容聲. 於是配以十干, 名爲旬稗. 지금의 문장들은 강정 같다 一日袖以示余曰: “此吾童子時手戱也. 子獨不見食之有粔𥺌乎? 粉米漬酒, 截以蚕大, 煖堗焙之, 煮油漲之, 其形如繭. 非不潔且美也, 其中空空, 啖而難飽, 其質易碎, 吹則雪飛. 故凡物之外美而中空者, 謂之粔𥺌. 今夫榛栗稻秔, 卽人所賤. 然實美而眞飽, 則可以事上帝, 亦可以贄盛賓. 夫文章之道, 亦如是, 而人以其榛栗稻秔, 而鄙夷之. 則子盍爲我辨之?” 일상의 일을 ..
여름밤에 연암 어르신과 허심탄회하게 이야기 나누다하야방연암장인기(夏夜訪燕巖丈人記) 이서구(李書九) 季夏之弦, 步自西隣, 訪燕巖丈人. 時微雲在天, 林月蒼翳. 鍾聲初起, 其始也殷殷, 其終也泛泛, 若水漚之方散. 意以爲丈人在家否, 入其巷, 先覘其牖, 燈照焉.入其門, 丈人不食已三朝矣, 方跣足解巾, 加股房櫳, 與廊曲賤隸相問答. 見余至, 遂整衣坐, 劇談古今治亂及當世文章名論之派別同異, 余聞而甚奇之也. 時夜已下三更. 仰見窓外, 天光焂開焂翕, 輕河亙白, 益悠揚不自定. 余驚曰: “彼曷爲而然?” 丈人笑曰: “子試觀其側.” 蓋燭火將滅, 焰動搖益大. 乃知向之所見者, 與此相映徹而然也.須臾燭盡. 遂兩坐黑室中, 諧笑猶自若. 余曰: “昔丈人與余同里, 嘗雪夜訪丈人, 丈人爲余親煖酒. 余亦手執餠, 爇之土爐中, 火氣烘騰, 余手甚熱, 數墮餠于灰..
호기로움만은 젊은 시절 못지 않네 수소완정하야방우기(酬素玩亭夏夜訪友記) 박지원(朴趾源) 六月某日, 洛瑞夜訪不侫, 歸而有記. 云: “余訪燕巖丈人, 丈人不食三朝. 脫巾跣足, 加股房櫳而臥, 與廊曲賤隸相問答.” 所謂燕巖者, 卽不侫金川峽居, 而人因以號之也. 不侫眷屬, 時在廣陵. 不侫素肥苦暑, 且患草樹蒸鬱, 夏夜蚊蠅, 水田蛙鳴, 晝夜不息以故, 每當夏月, 常避暑京舍. 京舍雖甚湫隘, 而無蚊蛙草樹之苦. 獨有一婢守舍, 忽病眼, 狂呼棄主去, 無供飯者. 遂寄食廊曲, 自然款狎, 彼亦不憚使役, 如奴婢. 靜居無一念在意. 時得鄕書, 但閱其平安字. 益習疎懶, 廢絶慶弔. 或數日不洗面, 或一旬不裹巾. 客至或黙然淸坐, 或販薪賣瓜者過, 呼與語孝悌忠信禮義廉恥, 款款語屢數百言. 人或讓其迂濶無當, 支離可厭, 而亦不知止也. 又有譏其在家爲客, 有妻如..
세상으로 책을 보고 마음을 비움으로 완미하라 소완정기(素玩亭記) 박지원(朴趾源) 책으로 둘러싸인 환경에서 문제점 完山李洛瑞, 扁其貯書之室曰素玩, 而請記於余. 余詰之曰: “夫魚游水中, 目不見水者, 何也? 所見者皆水, 則猶無水也. 今洛瑞之書盈棟而充架, 前後左右無非書也, 猶魚之游水. 雖效專於董生, 助記於張君, 借誦於東方, 將無以自得矣, 其可乎?” 책에서 둘러싸인 환경에서 나오라 洛瑞驚曰: “然則將奈何?” 余曰: “子未見夫索物者乎? 瞻前則失後, 顧左則遺右. 何則? 坐在室中, 身與物相掩, 眼與空相逼. 故爾莫若身處室外, 穴牖而窺之, 一目之專, 盡擧室中之物矣.” 洛瑞謝曰: “是夫子挈我以約也.” 해가 불꽃이 되려면 관조를 통해 모아져야 한다 余又曰: “子旣已知約之道矣. 又吾敎子, 以不以目視之, 以心照之可乎. 夫日者, ..
과거합격자 모범답안 모음집을 보는 자세 소단적치인(騷壇赤幟引) 박지원(朴趾源) 글짓기와 병법의 유사점 善爲文者, 其知兵乎. 字譬則士也, 意譬則將也, 題目者, 敵國也; 掌故者, 戰場墟壘也. 束字爲句, 團句成章, 猶隊伍行陣也; 韻以聲之, 詞以耀之, 猶金皷旌旗也. 照應者, 烽埈也; 譬喩者, 遊騎也. 抑揚反復者, 鏖戰撕殺也; 破題而結束者, 先登而擒敵也. 貴含蓄者, 不禽二毛也; 有餘音者, 振旅而凱旋也. 염파와 조괄의 차이 속에 글짓기의 이치가 숨어 있다 夫長平之卒, 其勇㥘非異於昔時也; 弓矛戈鋋, 其利鈍非變於前日也. 然而廉頗將之, 則足以制勝; 趙括代之, 則足以自坑. 故善爲兵者, 無可棄之卒; 善爲文者, 無可擇之字. 苟得其將, 則鉏耰棘矜, 盡化勁悍, 而裂幅揭竿, 頓新精彩矣; 苟得其理, 則家人常談, 猶列學官而童謳里諺, ..
대나무도 없는 집에 사는 이가 ‘대나무 동산[竹園]’이란 호를 지은 이유불이당기(不移堂記) 박지원(朴趾源) 대나무 없는 집의 죽원옹士涵自號竹園翁, 而扁其所居之堂曰不移, 請余序之. 余嘗登其軒, 而涉其園, 則不見一挺之竹. 余顧而笑曰: “是所謂無何鄕烏有先生之家耶? 名者實之賓, 吾將爲賓乎?” 士涵憮然爲間曰: “聊自寓意耳.” 원령, 측백나무를 그려달란 부탁에 설부를 써서 주다余笑曰: “無傷也. 吾將爲子實之也. 曩李學士功甫, 閒居爲梅花詩, 得沈董玄墨梅以弁軸. 因笑謂余曰: ‘甚矣! 沈之爲畵也. 能肖物而已矣.’ 余惑之曰: ‘爲畵而肖, 良工也. 學士何笑爲?’ 曰: ‘有之矣. 吾初與李元靈遊, 嘗遣絹一本, 請畵孔明廟柏. 元靈良久, 以古篆書雪賦以還. 吾得篆且喜, 益促其畵, 元靈笑曰: ‘子未喩耶? 昔已往矣.’ 余驚曰: ‘昔者來..
불치하문의 정신으로 조금이라도 낫다면 배워야 한다 북학의서(北學議序) 박지원(朴趾源) 모르는 게 있으면 배우는 게 학문의 방법 學問之道無他, 有不識, 執塗之人而問之可也, 僮僕多識我一字姑學. 汝恥己之不若人而不問勝己, 則是終身自錮於固陋無術之地也. 잘 배운 이 순과 공자 舜自耕稼陶漁, 以至爲帝, 無非取諸人. 孔子曰: “吾少也賤, 多能鄙事.” 亦耕稼陶漁之類是也. 雖以舜ㆍ孔子之聖且藝, 卽物而刱巧, 臨事而製器, 日猶不足, 而智有所窮. 故舜與孔子之爲聖, 不過好問於人, 而善學之者也. 우리나라 학자들은 배우려하지 않다 吾東之士, 得偏氣於一隅之土, 足不蹈凾夏之地, 目未見中州之人, 生老病死, 不離疆域. 則鶴長烏黑, 各守其天, 蛙井蚡田, 獨信其地. 謂禮寧野, 認陋爲儉, 所謂四民, 僅存名目, 而至於利用厚生之具, 日趨困窮. 此無..
이름이 후세에 남겨지길 바라는 꺾이지 않는 바람을 지닌 김홍연의 이야기 발승암기(髮僧菴記) 박지원(朴趾源) 금강산을 유람하다 새겨진 이름을 보고 불쾌감을 느끼다 余東遊楓嶽. 入其洞門, 已見古今人題名, 大書深刻, 殆無片隙, 如觀場疊肩, 郊阡叢墳. 舊刻纔沒苔蘚, 新題又煥丹硃. 至崩崖裂石, 削立千仞, 上絶飛鳥之影, 而獨有金弘淵三字. 余固心異之曰: “古來觀察使之威, 足以死生人, 楊蓬萊之耽奇, 足跡無所不到, 猶未能置名此間. 彼題名者誰耶? 乃能令工與鼯猱爭性命也.” 어느 산에 가도 있던 그 이름, 왜 이리 반갑던지 其後余遊歷方內名山, 南登俗離ㆍ伽倻, 西登天摩ㆍ妙香. 所至僻奧, 自謂能窮世人之所不能到, 然常得金所題. 輒發憤罵曰: “何物弘淵, 敢爾唐突耶?” 大凡好遊名山者, 非犯至危排衆難, 亦不得搜奇探勝. 余平居追思往䠱, ..
너만의 색채 그걸 응원해 능양시집서(菱洋詩集序) 박지원(朴趾源) 달사와 속인 達士無所恠, 俗人多所疑. 所謂少所見, 多所恠也. 夫豈達士者, 逐物而目覩哉? 聞一則形十於目, 見十則設百於心, 千恠萬奇, 還寄於物而己無與焉. 故心閒有餘, 應酬無窮. 所見少者, 以鷺嗤烏, 以鳧危鶴. 物自無恠己, 廼生嗔一事不同, 都誣萬物. 까마귀의 검은색 속에 감춰진 여러 색 噫! 瞻彼烏矣, 莫黑其羽. 忽暈乳金, 復耀石綠. 日映之而騰紫, 目閃閃而轉翠. 然則吾雖謂之蒼烏可也, 復謂之赤烏, 亦可也. 彼旣本無定色, 而我乃以目先定. 奚特定於其目? 不覩而先定於其心. 검기 때문에 거울이 된다 噫! 錮烏於黑足矣, 廼復以烏錮天下之衆色. 烏果黑矣, 誰復知所謂蒼赤乃色中之光耶? 謂黑爲闇者, 非但不識烏, 並黑而不知也. 何則? 水玄故能照, 漆黑故能鑑. 是故有色..
말머리에 무지개 기운이 날리던 기록 마수홍비기(馬首虹飛記) 박지원(朴趾源) 맑던 하늘에 구름 한 점이 생기네 夜宿鳳翔邨, 曉入沁都. 行五里許, 天始明, 無纖氛點翳. 日纔上天一尺, 忽有黑雲, 點日如烏頭, 須臾掩日半輪. 慘憺窅冥, 如恨如愁, 頻蹙不寧. 光氣旁溢, 皆成彗孛, 下射天際如怒瀑. 갑자기 생긴 구름으로 하늘은 삽시간에 어두워져 번쩍이네 海外諸山, 各出小雲遙相應, 蓬蓬有毒. 或出電, 耀威日下, 殷殷有聲矣. 少焉, 四面䢔遝正黑, 無縫罅. 電出其間, 始見雲之積疊襞褶者, 千朶萬葉, 如衣之有緣, 如花之有暈, 皆有淺深. 雷聲若裂, 疑有墨龍跳出, 然雨不甚猛, 遙望延ㆍ白之間, 雨脚如垂疋練. 저 멀리 연안과 배천 사이를 바라보니 빗발이 한 필의 비단에 드리운 듯했다. 흐리던 하늘이 갠 풍경 促馬行十餘里, 日光忽透, ..
담헌이 소장한 청명상하도(淸明上河圖)에 쓴 발문 담헌소장청명상하도발(湛軒所藏淸明上河圖跋) 박지원(朴趾源) 우리나라에 건너온 위조품이 많다 吾爲跋此圖, 亦已多矣. 皆稱仇英十洲, 孰爲眞蹟. 孰爲贋本? 吳兒狡獪, 東俗眯眊, 宜乎其此軸之多東渡鴨水也. 진품을 원할수록 위조품이 늘어간다 書何必鍾ㆍ王ㆍ顔ㆍ柳, 畵何必顧ㆍ陸ㆍ閻ㆍ吳, 鼎彛何必宣德五金? 求其眞蹟, 故詐僞百出, 愈似而愈假. 위조품이 아닌 정신을 따른 물건이라면 그 자체로 의미가 있다 隆福之寺, 玉河之橋, 有自賣其手筆書畵, 當略辨雅俗, 收而有之. 爐則雖乾隆年製, 卽取型範古恠敦厚者, 庶不爲燕市之一笑. -『燕巖集』 卷之七 해석 우리나라에 건너온 위조품이 많다 吾爲跋此圖, 亦已多矣. 나는 「청명상하도(淸明上河圖)」【청명상하도(淸明上河圖): 명(明) 십주(十洲) 구..
같아지려 할수록 가짜가 된다 녹천관집서(綠天館集序) 박지원(朴趾源) 모방으로 비슷해질 수 없고 倣古爲文, 如鏡之照形, 可謂似也歟? 曰: “左右相反, 惡得而似也?” 如水之寫形, 可謂似也歟? 曰: “本末倒見, 惡得而似也?” 如影之隨形, 可謂似也歟? 曰: “午陽則侏儒僬僥, 斜日則龍伯防風, 惡得而似也?” 如畵之描形, 可謂似也歟? 曰: “行者不動, 語者無聲, 惡得而似也?” 비슷하다는 말 속에 짝퉁이란 말이 숨어 있으니 曰: “然則終不可得而似歟?” 曰: “夫何求乎似也? 求似者非眞也. 天下之所謂相同者, 必稱‘酷肖’; 難辨者亦曰‘逼眞’. 夫語眞語肖之際, 假與異在其中矣. 故天下有難解而可學, 絶異而相似者. 鞮象寄譯, 可以通意; 篆籒隷楷, 皆能成文, 何則? 所異者形, 所同者心故耳. 繇是觀之, 心似者志意也, 形似者皮毛也.” ..
오래 남기려 한다면 오히려 장독 덮개로 쓰이는 게 낫다네 냉재집서(泠齋集序) 박지원(朴趾源) 돌을 깎아내는 공과 새기는 공을 다투다 匠石謂剞劂氏曰: “夫天下之物, 莫堅於石, 爰伐其堅, 斷而斲之. 螭首龜趺, 樹之神道, 永世不騫, 是我之功也.” 剞劂氏曰: “久而不磨者, 莫壽於刻. 大人有行, 君子銘之, 匪余攸工, 將焉用碑?” 잘라지는 돌, 써지는 글 그렇기에 영원할 수 없어라 遂相與訟之於馬鬣者, 馬鬣者寂然無聲, 三呼而三不應. 於是石翁仲啞然而笑曰: “子謂天下之至堅者, 莫堅乎石, 久而不磨者, 莫壽乎刻也. 雖然石果堅也, 斲而爲碑乎? 若可不磨也, 惡能刻乎? 旣得以斲而刻之, 又安知築竈者不取之, 以爲安鼎之題乎?” 揚子雲好古士也, 多識奇字. 方艸『太玄』, 愀然變色易容, 慨然太息曰: “嗟乎! 烏爾其知之? 聞石翁仲之風者, 其..
여의주를 부러워하지 않는 말똥구리 같은 시 모음집에 써준 서문 낭환집서(蜋丸集序) 박지원(朴趾源) 비단옷 입은 봉사와 비단옷 입고 밤에 거니는 사람 子務ㆍ子惠出遊, 見瞽者衣錦. 子惠喟然歎曰: “嗟乎! 有諸己而莫之見也.” 子務曰: “夫何與衣繡而夜行者?” 遂相與辨之於聽虗先生. 先生搖手曰: “吾不知吾不知.” 이는 옷에서 생겨나나? 살에서 생겨나나? 昔黃政丞自公而歸. 其女迎謂曰: “大人知蝨乎? 蝨奚生? 生於衣歟?” 曰: “然,” 女笑曰: “我固勝矣.” 婦請曰: “蝨生於肌歟?” 曰: “是也” 婦笑曰: “舅氏是我.” 夫人怒曰: “孰謂大監智, 訟而兩是.” 政丞莞爾而笑曰: “女與婦來. 夫蝨非肌不化, 非衣不傅, 故兩言皆是也. 雖然, 衣在籠中, 亦有蝨焉; 使汝裸裎, 猶將癢焉, 汗氣蒸蒸, 糊氣蟲蟲, 不離不襯衣膚之間.” 짝짝..
이 문집에서 이명은 못 듣더라도 코골이를 듣거든 알려주시오 공작관문고 자서(孔雀館文稿 自序) 박지원(朴趾源) 글이란 뜻만 전달하면 그뿐 文以寫意則止而已矣. 彼臨題操毫, 忽思古語, 强覓經旨, 假意謹嚴. 逐字矜莊者, 譬如招工寫眞, 更容貌而前也. 目視不轉, 衣紋如拭, 失其常度, 雖良畵史, 難得其眞. 爲文者亦何異於是哉? 글의 소재가 진실하기만 하다면 버릴 게 없다 語不必大, 道分毫釐, 所可道也, 瓦礫何棄? 故檮杌惡獸, 『楚史』取名, 椎埋劇盜, 遷ㆍ固是叙, 爲文者惟其眞而已矣. ‘나만 알고 너는 모르는’ 이명(耳鳴) 以是觀之, 得失在我, 毁譽在人, 譬如耳鳴而鼻鼾. 小兒嬉庭. 其耳忽鳴. 啞然而喜, 潛謂鄰兒曰: “爾聽此聲, 我耳其嚶, 奏鞸吹笙, 其團如星.” 鄰兒傾耳相接, 竟無所聽, 閔然叫號, 恨人之不知也. ‘너만 알고..
허명에 매이지 말고 명(命)과 리(理)로 세상을 대하라관재기(觀齋記) 박지원(朴趾源) 불타는 향에 자신을 이입한 동자 歲乙酉秋, 余溯自八潭, 入摩訶衍, 訪緇俊大師. 師指連坎中, 目視鼻端. 有小童子, 撥爐點香, 團如綰鬉, 鬱如蒸芝, 不扶而直, 無風自波, 蹲蹲婀娜, 如將不勝. 童子忽妙悟發, 笑曰: “功德旣滿, 動轉歸風. 成我浮圖, 一粒起虹.” 師展眼曰: “小子汝聞其香, 我觀其灰; 汝喜其烟, 我觀其空. 動靜旣寂, 功德何施?” 공에 집중하길 권하다 童子曰: “敢問何謂也?” 師曰: “汝試嗅其灰, 誰復聞者? 汝觀其空, 誰復有者?” 마음속에 두지 말고 기운이 막히지 않도록 하라 童子涕泣漣如, 曰: “昔者夫子摩我頂, 律我五戒, 施我法名. 今夫子言之, 名則非我, 我則是空, 空則無形, 名將焉施? 請還其名.” 師曰: “汝順..
남의 평판보다 스스로 만족하는 글을 쓸 줄 알며 스스로를 잘 아는 사람이길 바라며자지암기(自知菴記) 이천보(李天輔) 人之患, 不在於不知人, 而在於不知己. 惟其不知己, 故人譽之而以爲喜, 人毁之而以爲慽. 夫天下之色, 吾視以吾目, 而不借人之目; 天下之聲, 吾聽以吾耳, 而不借人之耳. 今乃閉吾之目, 而求人之視; 掩吾之耳, 而求人之聽, 是豈理也哉? 聲與色, 自外而至者也, 然吾之所以視聽之者, 其權在吾而不在人, 况吾不能知吾, 而僕僕然仰人之齒牙, 得不病乎? 是以, 古之君子, 獨立不屈, 紛然爲取於人, 而無所加益; 脫然爲棄於人, 而無所加損者, 其自知甚明, 吾之爲吾者, 一也. 吾友杞溪兪泰仲, 少而有奇志, 耻與今之人相俯仰, 一朝廢擧, 隱居海濱. 人有問其故者, 泰仲輒笑而不言, 而名其室曰自知. 嗟乎! 若泰仲者, 可謂信於己, 而不求..
묵도(黙道)와 진언(眞言)과 진시(眞詩)제묵와시권후(題默窩詩卷後) 이천보(李天輔) 어딜 가든 시를 써재끼는데 웬 침묵?海平尹汝精, 病世之人, 以言而取敗, 自號默窩. 或者有問於余曰: “詩者, 性情之發而爲言者也. 汝精好爲詩, 殆將廢百事而爲之. 凡其飮食夢寐, 無往而非詩也, 無往而非詩者, 卽無往而非言也. 然則天下之多言者, 無過於汝精, 而今乃自托於默, 其孰信之?” 침묵 같은 말, 침묵 같은 시余曰: “子不聞深谷之有聲乎? 其聲也不自爲聲, 而必待乎物. 故曰: ‘聲之出於谷’ 非也; 曰: ‘聲之不出於谷’ 又非也, 惟其無意於聲, 而聲自聞也. 古之至人, 何嘗無言乎哉. 言而無意於言, 是以其言高如升天, 而人不敢疑其高; 深如入地, 而人不敢疑其深, 是皆默之道, 而汝精之所願學者也. 竊觀汝精之爲詩, 緣境而生情, 緣情而成言, 亦惟曰: ..
지금의 율시란 교언영색하는 시이기에 싫어할 뿐원시 하(原詩 下) 홍석주(洪奭周) 지금의 근체시만 법칙을 따른다는 생각을 버려余之惡律詩也, 非惡夫律也. 苟以其律則三百篇之有律也, 必有過於今之律詩者矣. 古之君子, 溫恭而易直, 肅敬而齊一, 言語有則, 動作有矩, 周旋有度, 進退有法, 是以其威可畏, 其儀可象, 而其民則而效之. 今夫作三百篇者固多, 向所謂溫恭而易直, 肅敬而齊一者也. 君子之於道, 不可以須臾離也, 是豈獨於詩而棄夫律也? 夫以今之律詩而謂之律也, 則其他詩, 皆無律者也. 是齷齪粉澤, 曲謹小廉, 恒愈於平易紆餘豁達奇偉之士, 而繁音促節, 反加於韶頀之上 周公ㆍ召公ㆍ尹吉甫ㆍ衛武公之賢, 皆不若沈約ㆍ徐陵之徒也. 卽古人無論已, 至如郭景純陶淵明輩, 亦豈弊弊焉終身於無律之詩而不悟者哉? 남을 즐겁게 할 시 말고, 천진함이 저절로 담긴..
율시 일변도의 문단을 비판하며 민요의 가치를 말하다원시 중(原詩 中) 홍석주(洪奭周) 정이 드러난 여항의 노래엔 시경의 풍조가 살아 있다或曰: “子之言詩也如此, 則唯三百篇, 可以當之, 舍是以往, 皆非詩歟?” 曰: “惡惡可? 氣之在時者, 有盛衰; 而情之在人者, 無古今. 今夫人怒則勃然而咜, 喜則怡然而笑, 悲哀憂戚, 嗚咽而太息者, 斯固人眞情之所動, 而古今不能以隔之者也. 故爲詩之深淺高下, 或不能齊, 而其竗感之機, 固千載而如一日也. 是以, 由其感神明也, 則安世練時, 固無以異乎烈祖ㆍ我將之篇也; 由其感軍旅也, 則鐃歌皷吹, 亦無以異乎小戎ㆍ出車之篇也. 及其奮然而作, 潸然而涕, 令人神𨓏而不知, 則離騷ㆍ九歌, 易水秋風, 固未嘗無興觀羣怨之美也, 至若淫聲曼詞, 使民蕩志而移情, 則雖降而子夜ㆍ讀曲, 亦或不異乎桑間濮上之音也. 唐之與..
병에 걸렸기에 삶에 너그러워진 세 가지 이유병해 이(病解 二) 조귀명(趙龜命) 순식간인 삶 속에 아픔도 순식간인 것을余有病而自寬者三. 夫天地一元之數爲十二萬九千六百年, 此可謂久矣. 而達者猶以瞬息視之. 人生於其間, 號爲壽者, 不過八九十, 其爲瞬息, 亦甚矣. 縱使有疾痛憂苦, 亦幾何忍哉? 此其自寬者一也. 건강한 이는 모를 아픈 이만이 누리는 기쁨八珍之味, 惟貧者食之, 知其爲異味也, 而富厚之子弟, 習於口, 未嘗以爲異, 異味而不以爲異, 則是實不知天下之味者也. 彼强健者, 亦然. 惟終身而無所痛苦, 故彼反恬於强健, 不謂其眞可喜也. 今夫癃疾之人, 一歲而或得一日健, 一日而或得一時蘇, 方其蘇而健也, 百骸調適, 手足宴安, 忽若忘身, 其幸無比. 如此佳境, 豈强健者之所能知乎? 於是, 無風之夕, 不雨之朝, 二三友朋, 杖屨逍遙, ..
천기에 따른 시를 쓰되 알아야 할 것과 삼가야 할 것원시 상(原詩 上) 홍석주(洪奭周) 시의 특징詩可不爲也, 而不可以不知也; 詩可不知也, 而不可以不愼也. 夫詩奚出乎? 出於氣; 奚發乎? 發於情. 氣出於天, 情出於人, 天人之竗感, 莫是先焉. 천기에 따른 시와 그렇지 못한 시夫言固不能以盡意, 而文又不能以盡言, 至若詩之爲文也則不然. 激揚宣暢, 咨嗟反復, 往往不措一辭, 而並與其言之所不能傳者得之斯, 奚以致哉. 盖悲懽憂戚, 萬端之交于中也, 固不能不發而爲聲. 或讙呼歌笑, 或痛哭飮泣, 短之爲太息, 長之爲吟歗. 淋漓激洩, 低仰曲折, 非惟不能自已, 而亦或不能以自知也. 是固意之所不暇謀, 而言之所不及出也, 天機之自然, 於是見矣. 及夫形之爲辭, 擇之爲言, 有倫有脊, 以應以對, 則反襍乎意爲, 而有不能盡其眞者矣. 문과 시의 차이, ..
사대부나 방외인은 짓지 못할 국풍의 유풍을 지닌 시선집소대풍요서(昭代風謠序) 오광운(吳光運) 풍은 사람을 빌려 노래가 된다風之行於天下, 假人以鳴曰謠. 其鳴也以天, 故人之性情, 代之汙隆, 如鏡焉. 一以人而雜之, 則其天汨矣, 又何以鏡焉? 풍이 시대에 따라 옮겨가다然風之行於天下, 變遷不常. 周之時, 風自岐鎬江漢之間, 漢唐之風, 萃於汧渭伊洛, 汴宋之南也, 其風亦南, 吳楚閩越彬彬焉. 明興, 勃碣之人, 揚聲摛藻, 秀甲於天下, 豈非王者之都, 必占天地風氣之所聚? 而人物之擩染觀感, 又非四方所可比也. 주나라의 풍이 다른 나라의 풍보다 우뚝한 이유然周之風, 皆出於民俗, 故其天全, 漢以後多出於士大夫, 故其天不全. 余讀漢魏詩, 如十九首及其他古樂府無名氏諸篇, 犂然有國風言外之旨. 雖以子建風骨, 邈然不能及, 况餘子乎? 余意其出於閭巷..
애한(愛閑)을 한한(閑閑)으로 바꾼 이유 한한정기(閑閑亭記) 이호민(李好閔) 吾友朴君益卿, 舊居吾隣西母嶽之下, 有楓崖林塘之幽. 湖西之始安郡, 是君之妻郷也, 兵火之後, 君移于始安, 則始安又山水之會也. 君就其會而又選其勝焉, 築亭開沼, 蒔花種竹, 名其亭曰愛閑. 琴於斯, 棋於斯, 觴於斯, 釣於斯. 一日, 君踵吾門而誇詡之曰: “子不自閑, 何能知人之閑耶? 旣不自閑, 可記人之閑耶?” 吾始愧而咍曰: “君名亭愛閑, 是閑爲他物, 而君知愛之也. 愛固善矣, 豈如吾自閑之爲眞閑耶? 夫閑者, 無所用心, 若有事而無事之謂也. 吾苟閑也, 則吾不自知吾閑, 人見吾之閑而愛之也. 君之名亭, 爲人而起義則可, 苟自爲也則不. 若曰閑閑, 下一閑, 謂心閑也, 上一閑, 謂閑之也, 苟閑閑也, 此其眞閑也. 閑之旣眞, 則雖居金門之邃, 處衚衕之擾, 心固自閑也,..
애한(愛閑)을 그치지 않을 때 한한(閑閑)이 된다 애한정기(愛閑亭記) 이정구(李廷龜) 槐灘上流, 地僻而佳, 有翠壁澄潭長松脩竹之勝. 吾老友朴益卿, 築室而居之, 名其亭曰愛閑, 求記於薦紳間. 五峯李相公, 首爲文若詩, 易其名曰閑閑, 其意蓋以吾自閑之, 曰愛則猶外也. 益卿袖以示余, 若有不解者然, 曰: “亭名何居? 願聞子之說.” 余就而繹之. 夫所謂閑者, 無事而自適之謂. 人必自閑而後人閑之, 役志於閑, 非眞閑也. 物之閑者, 莫鷗若也, 飛鳴飮啄, 自適其性, 非有意於閑, 而見者閑之. 夫豈自知其閑哉? 此五峯之言所以發也. 雖然, 閑公物也, 惟愛者能有之. 苟不愛焉, 則雖處煙霞水石之間, 其心猶役役也. 彼狗苟蠅營, 昏夜乞哀, 乾沒勢利, 卯酉束縛者, 固不知閑之爲何事, 奚暇於愛乎? 益卿世家京洛, 初非無意於仕宦者, 今乃謝紛華而樂寛閑, 一..
余上舍時。得破家於南坊會賢里。始構小庵二間。泛謂之書堂。友人吉哉氏。有抛梁之文以助擧。今投晉印。居息於此。乃以歸愚名之。客詰其義。余曰。此取古人詩語。而在余則迹其實也。客曰。子之愚。吾得之矣。家無甁甔。而弃三品之俸。盤闕虀鹽。而輟陸海之珍。輕脫五馬轓蓋。而東驢無借之者。厭見矗石風煙。而矮屋不勝於打頭。人皆劫劫。我獨夷猶。人皆咄咄。我獨邈如。啼妻號子。莫以嬰于心者。玆非其實歟。余曰。未也。余生于今世四十有四年。立乎本朝一十有六年。齒髮已易。愚性不變。更歷許久。愚氣未艾。其在公也。不惟險夷。唯事之欲了。頻爲邑官。輒自劾而歸。蓋雖自知其愚。而人亦莫容其愚故也。及其旣老。其愚已熟。如聖之集成。無以復加也。朝野云云。咸怪其愚。聖上獨以愚忠而恕之。噫。父母之愛劣子。實矜悶而保其癡也。夫職者。任事之名。官爲治任之所。非聰明慧哲。莫宜居之。故主人名存仕版。家食居多。班登上士。恒若白身。亟黜於明時。歸無..
文自典謨訓誥。古而難到。降戾晉魏。病於騈縭。唐宋 流於淺近。至于今愈下而愈卑。文之弊極矣。然則不古不下。可學而到。以變後世之文體者。其惟兩漢乎。司馬遷生於秦火之後。因六經散絶殘脫之餘。掇拾補完。以集著一史。又創己意。棄編年以爲本紀。世家八書列傳之文。各序其端。以發其意。其善惡之迹。興廢之由。昭然於目擊之餘。嗚呼。如遷之文。亦可謂雋韙拔出之材也。豈後之作者可及其萬一乎。班固,范燁。仿而著之。如出一手。豈亦亞於遷者歟。余病學文者急於取科第。嗜俗文。未有學兩漢文以矯其弊。故拈出遷史兩漢書各篇序文。手寫一帙曰文範。以勸初學後生云。時嘉靖丁亥季秋。書于芒洞之思齋
詩須心會。何事箋解。解猶無所事。況譯之以方言乎。自達識論之。是固然矣。爲學者謀之。心有所未會。烏可無解。解有所未暢。譯亦何可已也。此杜詩諺解之所以有功於詩家也。詩至杜少陵。古今之能事畢矣。庀材也極其博。用意也極其深。造語也極其變。古人謂胸中無國子監。不可看杜詩。詎不信歟。註解者稱千家。謂其多也。至其密義粤語。鮮有發明。讀者病之久矣。成化年間。成廟命玉堂詞臣參訂諸註。以諺語譯其義。凡舊說之所未達。一覽曉然。梅溪曹學士偉奉敎序之。然其印本之 行於世者甚鮮。記余少時。嘗從人一倩讀之。旣而欲再觀。而終不可得。常以爲恨。今年天坡吳公䎘按節嶺南。購得一本。繕寫校定。分刊於列邑。而大丘府使金侯尙宓實相其役。旣成。走書屬序於余。嗚呼。比興之義。謂無與於斯文。詩直可廢也。詩有未可廢者。則杜詩何可不讀。讀杜而有諺解。其不猶迷塗之指南乎。況是編也。成廟所嘗留神。以嘉惠後學者也。重刊而廣布。使學詩者。戶藏而人..
儒者所以明性理之源。通古今之變。修之身而措諸天下國家者。經與史而已。外此而他求則吾道之棄。而異端之歸爾。然天下之理無窮。而事物之變亦與之無窮。故經史之外。又有百家衆技之流。各隨所見立言著書。雖未能盡合於聖人之經。未必無一曲之可觀。猶足以資聞見之博。而益知道之至大。無處而不在焉。是固儒者之所不廢也。此大平廣記之所以作也。由其廣記衆說而不遺。故泛濫支離。至五百卷而已焉。讀者鮮能畢其說。吾友昌寧成侯好古博雅君子也。甞讀廣記。喜其文之富麗事之瓌詭。而病其汗漫寡要。於是芟其繁蕪。約爲五十卷。以便觀閱。持以示予。且求序。予受而讀之。若牛渚犀然。幽怪靡遺。驪山塚發。珍貝自獻。愈出愈奇。使人亹亹忘倦。上下數千載間。幽而鬼神之情狀。明而人物之變態。凡可喜可愕可敬可賤者。燎然畢陳於前。不必讀五車書而後免於管窺蠡測之誚也。侯之用心。亦可賞已。侯曰怪力亂神。夫子所不語。後之人將指而議之曰此所謂非聖之書則乃何。..
大廈將傾而一木扶之。滄海橫流而一葦抗之。知其不可。而猶且爲之者。分定故也。古人云。天地生人。各無不足之理。常思天下君臣父子。有多少不盡分處。所謂分者。何也。天之所以命物。而物之所以爲則者也。然則木之支廈分也。葦之抗海分也。臣子之忠孝於君親而竭誠盡節。以至捐軀殞命者。亦分也。學者。學此而已。知者。知此而已。行者。行此而已。盡此者聖。 勉此者賢。如此而生。如此而死。得喪禍福。隨其所遇而吾心安焉。若夫時之不幸。勢之難爲。則君子不以爲病焉。圃隱鄭先生。以義理之學。爲諸儒倡。當時翕然宗之。今其微言緖論。雖無所尋逐。然卽其所就之大者而觀之。則其亦求盡乎性分之內。而不願乎其外者歟。不然。何其見之明而守之固。決之勇而行之果歟。嗚呼。先生。在家爲孝子。立朝爲忠臣。迨乎麗運告訖。天命去矣。民心離矣。聖人作。萬物覩。一時智能之士。爭欲乘風雲之勢。依日月之光。以求尺寸之功。孰肎以王氏社稷爲念哉。惟先生。挺然獨..
李忠翼時白方面圩頂。能兼六人力。性又忠信敦確。獨於文章甚椎。雖學史記於白沙。學杜詩於石洲。皆以全帙痛讀。猶未達也。靖社時延平喩其義。不果從。後問於金元亮明叔曰。此湯武之擧也。於是始從之。丙子扈駕南漢山城。力戰挫敵。城中倚以爲重。及回鑾未幾。仁祖聞公家有芍藥異種。命東山別監往取之。公大痛曰今日國家至此。此何等羞恥。而使聖上反取此物。臣之罪大矣。遂對使者以斧截其根。示不可用。其忠愨益著。後果入相。爲一時完人。業文章者喜讀老莊諸書。其氣質過高者。又多轉而求道於釋氏之門。唐宋諸賢是也。至我朝平時則金乖厓。近世則張谿谷。皆不能免。其知病此。欲竊附於吾學。而卒不能自解者。無如李芝峯晬光。以其於吾學實功。無一喫緊見者。擬議說話。都在上達處。宜乎過高而不通也。殊可歎惜。其卓然無累者。殆李澤堂植乎。蓋其初人頭。專在經書訓詁上。又頗染指於程朱書。故能卞異學肯綮。其次爲鰲城,月沙二公。雖習文章讀莊老書。而不..
夫中國固以奢而亡 吾邦必以儉而衰 何也 夫有其物而不費之謂儉 非無諸己而自絶之謂也 今國無採珠之戶 市無珊瑚之價 持金銀而入店 不可以買餅餌 豈其俗之眞能好儉而然歟 特不知所以用之之術耳 不知所以用之 則不知所以生之不知所以生之 則民日窮 夫財譬則井也 汲則滿 廢則竭 故不服錦繡 而國無織錦之人 則女紅衰矣 不嫌窳器 不事機巧 而國無工匠陶冶之事 則技藝亡矣 以至農荒而失其法商薄而失其業 -朴齊家, 「北學議」
글을 지을 때 경계해야 할 것 文之體類十三, 而所以爲文者八, 曰神理氣味格律聲色. 神理氣味者, 文之精也; 格律聲色者, 文之粗也, 然苟舍其粗, 則精者亦胡而寓焉? 學者之於古人, 必始而遇其粗, 中而遇其精, 終則御其精者而遺其粗者, 今不能遇其粗而何以遇其精, 以至於御其精而遺其粗也? 世每以文爲小道而忽之, 是以文爲戲者也. 非文則道無以寓焉, 文與道相須, 不可歧而貳之也. 所以『易』文言, 爲文之祖, 而繫之末端, 以吉人之辭躁人之辭, 申複言之 文之不可不愼, 如此也. 何可以下筆不休, 無所裁制, 騁氣吊詭, 積字積句, 以爲文也? 此尤大戒也, 又何論於遇其精遇其粗也? 해석 文之體類十三, 而所以爲文者八, 曰神理氣味格律聲色. 글의 문체(文體) 종류는 13가지이지만 문장을 짓게 하는 것은 여덟 가지가 있으니 신(神)과 리(理)와 기(氣)와 미..
우협에 독서하러 떠나는 정래교를 전송하며송정생래교독서우협서(送鄭生來僑讀書牛峽序) 신정하(申靖夏) 가난하기에 배움을 그만 둔 사람과 그럼에도 배운 사람余嘗見世之有志於學而貧者, 往往有奔走於口腹, 以不能自振而墮其業者. 未始不惜其人之窮厄, 亦有以竊歎其誠之不篤也. 夫貧固可憂也, 而學而不能忘貧之爲憂, 則其所謂學之淺深, 盖可見矣. 故古之爲學者, 未聞以其貧廢學, 良以好學之心, 能勝其惡貧之心故也.不則不足以言學也. 가난을 극복하고 학문에 뜻을 둔 정래교有鄭生潤卿者, 志于學有年矣, 然顧貧甚, 恐其不能有以自振而墮其業也. 將棄去家事, 與同學數子, 讀書於牛峽, 以行日告余, 願有言勖之. 嗚呼! 生之志可謂勇哉! 然余觀其色而聽其言也, 悒悒然似不能忘貧之憂者. 余恐生之過於憂貧而遂不能篤於爲學也, 生其戒之哉. 안연의 마음으로 학문하길孔子曰:..
병해(病解) 일(一) 조귀명(趙龜命) 趙子與病俱生 與病俱長 盖嘗默而識之 上自頭頂下至支末 無非病也 凡心之所嗜樂 事之所經營 率皆以病而不能諧 而世間之良辰吉月 非呻吟之日 卽畏約之時 平居鬱鬱 無以自慰 其知心之友林子告之曰 子無甚憂 子之有病 天相子也 吾嘗熟子矣 於天下之事 必欲極其至者 子之志也 嗜色而好文者 子之性也 使子而無病也 則其不幾求天下之色而窮天下之欲歟 吾不得而知之也 不然 其將竭一生之精力 而取必於遷,固眉髮之間也 夫由彼者 不髓渴死 則爲天下蕩子 由此者 不發狂疾 必爲愚人 子其殆矣 今子惟病之愼 疎於色而倦於文 則使子不死不狂 惟病免爲蕩子愚人 惟病且於天下之事 必欲極其至 而不於色快 不於文得 則將驅其性而有所歸矣 天之相子也 亦弘矣 嗟夫 所謂病者 只足以侵子之軀殼而已 子之所以爲子者 固自如也 子何憂之甚 趙子聞是說也 而犂然有會於心 記之以爲..
93. 予少時 見有濟州加氏者 出入士族第 出齒蟲有效 其後同州婢張德 學術於加氏 凡齒痛及眼鼻有患 出蟲無數 病亦少愈 白日以針接以筯鉤取蟲 蟲輒搖躍 數日不死 人環立而視之 皆莫知其所以 嘗入大內 治齒有驗 命屬於惠民署爲女醫 使年少女醫數人學其術 竟無傳者 獨有私婢玉梅者 常雇於其家 張德死而玉梅盡得其術 亦屬惠民署 家與予比隣 觀其所爲 眞幻術也 予嘗奉使上國 有呑針而出於鼻孔 有木小童應叱而自躍者 其他養鳩燃火飛出孔等事 皆驚駭耳目 蓋其流耳
92. 河城尙主 復以功封府院君 豪富冠一時 與其弟河南皆嗜酒 酒酣必言言用文字 蔡耆之曰 君財寶有餘 而不知所用 文學不足 而顧能用之何也 一坐大笑 以爲名言
91. 高麗六品以上帶金 四品以上帶犀 二品以上帶玉 國朝四品以上帶銀 二品以上帶金 一品帶犀而已 然中朝使臣 帶玉犀者亦帶金 王子諴寧君朝天 天子賜犀帶 由是王子帶犀 世祖曰 均是王子孫宗室之帶犀者 雖使臣至勿改帶 後淸城西陵相繼赴朝 而天子皆賜犀帶 然帶犀朝官見使臣猶改金 中國豈不知我國宰相之帶犀 而有二韓之賜乎 臣意無用改也
90. 國制 堂上官用紗羅綾緞 以爲裹衣 而團領則仍用國布 蓋有取於衣錦尙絅之義也 世祖龍飛 許以段子爲團領常服 而胷背有等 載在大典焉 然猶不喜着 而只於朝參用之 今則非禮宴不服 予以掌令 嘗參元日之宴 坐于階上 有一倭人 目宰相段子胷背曰 曾見中國宰相服之 貴國宰相亦服之
89. 本國舊無木綿布 士大夫常服紬布 高麗末 文宰相益漸 得核於中朝 種子家園而取花 又求所以去核引絲之法而用之 湖嶺南最盛 而八道無不種 人蒙其利 而國用饒足 文公之功也 國朝世祿其子孫賞之 又麻布本國之產 而工女卒以皮麻織之 麤黑不潤澤 國初朝官團領 冬則用繻紬 夏則用麻布 世族之會 有一官 服麻布團領 而光澤異常 問之婦則乃曰 以刀割去麤皮 其短或半尺 或不能半尺 然甚潔白 以此織布耳 有一婦人 假病還家試之 因以鈍刀去其皮而織之 由是黑細麻布 爲本土之恒貢 而爲士大夫之盛飾矣
88. 趙宰臣胖 有其姑爲元脫脫丞相夫人 以故幼從姑養於脫脫氏 脫脫敗 公與所幸美人及一小官 避禍本國 中路小官謀於公曰 吾三人脫禍至此 萬有疑而問之者 是机上肉耳 又美人同行尤駭人見 不如割愛而圖存也 相與言議 而美人亦英敏 乃曰 魚與熊掌不可兼得 不可以妾之故騈首就戮也 泫然泣下 設小酌相與訣別於街樓 公二人策馬兼程 行可六七十里許 公悲念美人 寸步不能前 其意欲還尋美人更敍情懷也 小官曰 不須公往 奴當致公意而還也 公曰諾 小官正見美人墮樓而絶 解其臂環而謂公曰 兒女之不可信如此 方與二奚官 設酌唱歌 見某略無愧色 可鄙之甚也 公亦唾之 旣渡鴨綠江 具道墮樓之事 出臂環與之 公痛哭幾絶 到本國娶婦 生子五六人 俱顯位至勳相 猶終身悼念 每遇忌日 流涕而祭之
87. 河東嘗曰 酒爲老人乳 以穀成之 宜有益於人 吾平生不能飯 非酒何以至此 徐達城李二相平仲孫二相七休 亦以酒代飯 人之五藏强弱不同 酒亦別有入安之處 是未可知也 然飮酒者 畢竟爲酒所勝 欲止酒而不得 無酒氣則復飮 而精神已內消矣
86. 申文忠公奉使湖南 有一妓 才貌獨步 公頗鍾情焉 臨別戱謂妓曰何以贈我 使覩物思人 妓解所佩足臺獻之 後有持妓信書呈于公 其題書後曰 一隻足臺曾佩去 擧床時復暗思君 公笑曰 風流傑士 無地無之 他年復軆察南州 妓爲隣邑守所寵 而守乃公之故人也 公以妓自隨 笑談無異前日 而不復相近 以其守爲都差使員 日夜相從容話舊 略不形於辭色 人服其量
85. 高奉常台鼎 有友金 第與河東府院君鄭隔墻焉 高尋金距門限呼僮曰 某來 報汝主速出見也 僮出曰 主方進食 姑少待之 高大聲曰 汝主亦人乎 何以曰進食 必進糞也 何客來而不出也 少頃有老大人 自內顚倒而出 諦視之 乃河東府院君也 高不覺慚惶 俯伏謝罪曰 某以爲友人金第 而無禮至此 罪當萬死 公笑曰 落地皆兄弟 誰非友也 引與入內 設酌大飮 高不勝杯勺 竟亡走
84. 尹先生耆博羣書 年七十餘 白首傴僂 背高於頭 上嘗庭試百僚 予爲參試官 先生終日飮酒 若無意於製述 及暮一揮成篇 豪健如新進少年 獨恨其眼暗手顫 書字不端 表又落數聯竟不得第耳 金上洛請先生 欲授資治綱目 曰 只有一冊 何以見敎 先生曰 令公第聽之 便口誦十餘張 不錯一字 洪益城亦邀而問之 逐節誦過 亦不錯一字 有議之曰 人之聰明有限 豈有能誦綱目終帙 而不錯一字者乎 苟非天生聰明 應有魔耳
83. 東萊冬柏亭 擅名東國 周廻數里 皆冬柏樹 卽譜所謂山茶花也 雪中綠葉紅萼盛 東南枕巨浸 奇絶無雙 奉使大小朝臣 無不往觀而賞之 我先祖李原公嘗按嶺南 巡到本邑 忽一日衙罷 騎馬獨出 僚吏不敢問所之 潛尾其後 則公已至冬柏亭 吟嘯於樹下 夷猶忘返 有一老禿 佩酒一器來 跪曰 老人居亭側 竊見亭上有客躊躇 似是大官 敢獻村醪 命酌則眞旨酒也 公喜甚 連進數巵 又有漁人三兩輩 各以所得 賚有甲生鰒呈之 又有楊水尺抱獐兒 馳馬而進曰 幸得生肉 適有貴人在此敢獻 相與班荊地坐 以次酬酢 有報曰 亞使至 公遽起迎謂曰 苦爲野老所邀 酣樂至此 亞使曰 縣監亦來 不敢上謁 公曰來如此野次 何煩禮數 縣監入而珍羞羅列 聲樂繼進 夜深極歡而罷 向之獻酒饌野老 皆亞使與縣監所使也 公初慮本縣供億之有弊 挺身獨歸 而遂陷於術中 至今父老相傳爲盛事云
82. 光陵末年 有三太監 奉使而來 其一曰金輔 本國長湍人也 以射魚得幸於天子 驟陞崇班 權震朝野 時金軺爲迎按都監郞廳 輔一見軺曰 不肖人也 更勿近前 後軺犯罪 父子俱被刑 輔腐人也 無足取者 亦有知人之明
81. 孔宰相俯嘗判禮賓 趙政丞浚以供饋不潔將杖之 孔曰罪固不辭 然豈有宰相怒於飮食而杖朝臣者乎 趙笑而止之 趙與孔一時名賢 趙不少饒 而孔亦無怨言 等級之間 其嚴如此
80. 先祖杏村公 以前侍中 退居春川 時適有紅賊之變 玄陵遣內臣起之 公方手鋤治穢於路上 內臣不知是公 問侍中宅在何處 公謬指他洞 徑還具冠帶出見之 遂起爲都元帥 公沒 玄陵親寫其影杏村二字 乃玄陵手法 而書與畫俱絶妙 影今在吾家 寶藏之
79. 星州戶長李長庚有五子 曰兆年億年萬年千年百年 皆登科有名 而兆年以剛直最著 其子蕃衍 孫仁復仁任 大顯於麗季 稷入本朝 封功臣 位至政丞 其孫正寧又尙主封星原尉 有三子皆顯 自餘貂蟬滿朝 長庚年老家居 每聞淸道聲 輒下床伏地 聲絶良久復上 其用心如此 得報於子孫宜矣
78. 太宗釋負荷燕居于豐壤宮 時有二小官 相與談天人之理 甲則曰 富貴窮達 皆出於人君 乙則曰不然 一資一級 皆天所定 雖人主不能有爲於其間 各自以爲是 莫敢歸一 上及聞之 密書小旨曰 今去小官須加一資 以付甲者以送於世宗所 甲者旣辭而出 忽患急腹 假乙者以傳 明日啓政目於太宗 乙者加資 而甲者則無矣 太宗問知其所以 驚歎良久
77. 西原有椒水 余爲按使觀之 其水自地中湧沸而出 極冷而味苦 蛇蛙入輒死 世宗晩年有眼疾 營行宮幸焉 因而洗眼 日久頗驗 卽拜牧使朴孝誠堂上官 相傳 有老圃寢於陌上 耳邊有隱隱軍馬聲 起見之則平地有水沸出 馳告於州 以此轉聞 火煮之則味平無毒 如疥癬之疾 浴之輒愈 下流灌田數十頃 極膏腴
76. 高靈文忠公新宅在松針橋上 予爲掌令詣闕 公先在賓廳 談話間謂余曰 吾新第堂 北有泉脉 鑿之脉絶無水 有岩石堅確未易施工 用鐵器累日用工 復有灰 灰盡而有大木橫其中 斤破之則乃柏木也 木盡而水始淸冷 其深殆數十尺 未知其理 無奈是劫灰乎 陵遷谷變 變化無窮 又安知此地曾不爲萬丈之壑 而有木頹臥 因而遷變 遂爲平地者乎 盍爲我記之 宋欽守慶源有侍妓 朝而曰 昨夢有賊忽至 斬令公頭去 頃之有報賊至 宋大以夢爲忌 遂閉門不出 僚佐諫曰 審賊孤單 擊之必捷 安忍坐視其虜掠 而不出救也 竟不聽 賊遂驅人馬百餘而去 有一卒挺身踰城 奮挺大呼 奪其所掠數十人而還 事聞 世宗大怒 拿宋來 擢卒爲四品官 遂下宋禁府 論以軍法賜死 其死也 路經靑坡 崔政丞潤德與宋有舊 備酒果相屬而永訣曰 毋傷公法當死 況人生會有一死 吾亦朝夕當從公耳
75. 許大提學誠 每曰 貪位慕祿 老而彌銳 爲人嗤笑 曾不省悟 可鄙之甚也 以吏曹判書丁憂 終制而拜本職 一日忽覽鏡 愀然不樂 因投鏡曰 吾不知吾老之至此者 辭職不出 年六十餘
74. 高麗辛禑 李謹妃琳之女也崔寧妃瑩之女也寧妃事跡 著在國史 而江陵父老至今多言其事 禑臨刑 寧妃踊身奔救 有邑吏 手執其衣裾却之 妃大罵曰 老奴汝何以手汚我乎 遂裂去其裾 觀者無不竦動 謹妃老居開城本第 有屛風折一疊 侍婢欲改之 妃曰 先王親折之 不可改也 每遇禑忌日 女流涕祭之 太祖賜二妃各守信田三百結 蓋褒之也