과거시험이 유학자들의 질을 망치다
문책(文策)
이이(李珥)
嗚呼! 程ㆍ朱已歿, 道統遂絶, 人無聞道之志, 士趨爲人之學. 才高者專事乎詞章, 才短者奔走乎科場, 六經爲干祿之具, 仁義爲迂遠之路, 文不爲貫道之器, 道不爲徑世之用. 文弊至此, 則世道之汚隆, 從可知矣.
其所以爲弊者, 必有所自矣. 今之取人, 只有科擧一路而已. 縱有經綸之才, 廟堂之器, 苟不由是路, 則終不與於淸班. 彼囂囂樂道之流, 孰肯俛首屈志, 繫其得失憂樂於一夫之目哉? 此所以眞儒不出, 俗儒日滋者也.
해석
問 “文者, 道之著, 文而外道, 非文也. 故聖賢之文, 一出於道, 其載在六經者, 粲然可見. 但孔門立四科之目, 游夏以文學稱. 是則疑若外道而言文也. 抑游夏之文, 亦非徒文而已者耶?
秦漢以降, 士不講道, 文與道遂裂而爲二物. 雖或有以文鳴者, 皆浮華駁雜之爲尙, 而無復明道之實矣. 其間庶幾於道者, 如漢之董仲舒 揚雄, 唐之韓愈, 宋之敺陽脩. 先正許以近似, 而謂非諸儒可及. 然考其平生立言行事之實, 則未嘗無病焉. 其所以能近道而亦不能無病者, 何歟? 就先正論之, 考亭先生, 沈潛于道義而發越乎文章; 西山先生, 汪洋乎文章而浸淫乎道義. 二先生所入不同, 而終歸於一致者, 何歟?
觀乎今之世, 文弊極矣. 有科擧之文; 有詞章之文, 二者迭爲之病而文不文矣. 文弊若玆, 世道何如? 欲救之弊, 將有術歟? 二三子學文之餘, 其必熟講于是, 試言之.”
對 “愚嘗慨然於理學不講. 文與道歧而爲二. 螢窓之下, 掩卷長嘆者, 爲日久矣. 今國子先生, 特擧斯文, 下詢承學, 欲聞救弊之策, 愚雖無似, 敢不悉心以對.
竊謂道之顯者, 謂之文. 道者, 文之本也; 文者, 道之末也. 得其本而末在其中者, 聖賢之文也; 事其末而不業乎本者, 俗儒之文也. 古之學者, 必先明道, 苟能明道而有得於心, 則見乎威儀; 發乎言辭者, 莫非道之著者也. 是故, 其爲文也, 辭約而理當, 言近而指遠, 卒澤於道德仁義, 炳如也, 此則聖賢之文也. 後之學者, 不求實理, 而徒尙浮藻, 心無所得, 而外爲巧言, 取悅於人而衒玉於世. 是故, 其爲文也, 工於撰述, 而外於道義, 辭繁而理礙, 語圓而意滯, 此則俗儒之文也. 苟能窮其本末, 知所先後, 則可以與議於斯文矣. 仰惟吾夫子, 取羣聖之敎而折衷之, 載在六經者是已, 尙矣哉! 無復議爲也. 及其門人設四科之目, 而子游子夏, 以文學稱焉, 則雖若外道言文. 然而三代之學, 皆所以明人倫, 則古人之所謂文學者, 可知已. 豈若後世之雕蟲篆刻者哉?
自漢以來, 上無善治; 下無眞儒, 道術日壞, 衆流雜出, 世之儒名者, 徒知有文, 而不知有道, 浮華爲尙, 駁雜爲宗, 斯文之弊, 極矣. 其間稍知尊孔孟而抑異端者, 不過數人而已. 董生之正其誼不謀其利; 楊雄之先自治而後治人, 退之之文, 能起八代之衰; 永叔之文, 能革五季之弊者是已. 然而董生得聖人之經, 而其失也流而爲迂, 退之自守不固, 飢寒困窮之不勝而號於人, 永叔文行, 雖若庶幾, 而道學終愧於濂洛. 而況莽大夫楊雄, 焉能爲有, 焉能爲無哉? 夫道之所以不明者, 知其末而不知其本故也. 道之所以不行者, 先其所後, 後其所先故也. 孰不有知, 知道者鮮矣; 孰不知道, 行道者鮮矣.
游夏之學, 兼知兼行. 故子夏有‘賢賢易色’之論; 子游有‘武城禮樂’之化, 其不爲徒文, 可知已. 四科之目, 特其所長耳, 非其所偏也. 不然則具體之顏淵, 豈乏政事之才; 穎悟之子貢, 寧無文學之藝哉? 若董生之輩, 其知不至; 其行不篤. 故或所趣雖正, 而未得其宗, 或擇焉不精, 而語焉不詳, 或識量雖高, 而行不能掩; 或事業雖優, 而未聞道要. 此所以雖若近道, 而終不能無病者也. 若夫考亭之學, 淵源有自, 而道統有歸, 窮理而博之以文, 居敬而約之以禮, 躬行心得, 積中形外, 則其發越乎文章者, 乃睟面盎背之緖餘耳. 西山之學, 多而能識, 細大不遺, 唐虞以來編簡所存, 經傳之精微; 書史之浩瀚, 諸子之文; 百家之說, 莫不極其歸趣而覈其邪正, 則其浸淫乎道義者, 乃沈潛詳玩之所得耳. 二先生所入, 雖若不同, 皆以明道爲務, 則終歸於一致, 何足怪歟? 雖然, 凡物之理, 必先有本, 而後有末; 先有質, 而後有文矣. 考亭之學, 旣以道義爲本, 則西山之學, 豈無其本乎? 先文章而後道義, 非先正之所取也. 是故, 考亭之文章, 吾不曰‘讀書之所致’ 而曰‘道義之發乎外’者也; 西山之道義, 吾不曰‘文章之所致’ 而曰‘力行之根乎中’者也. 然則二先生之所入, 何嘗不同哉?
嗚呼! 程ㆍ朱已歿, 道統遂絶, 人無聞道之志, 士趨爲人之學.
아! 정자(程子)와 주자(朱子)가 이미 죽어 고통이 마침내 끊겼기에 사람들이 도를 듣는 뜻은 없어졌고 선비들이 위인지학(爲人之學)에만 내달리게 됐다.
才高者專事乎詞章, 才短者奔走乎科場, 六經爲干祿之具, 仁義爲迂遠之路, 文不爲貫道之器, 道不爲徑世之用.
재주 있는 이는 오롯이 사장(詞章)에만 일삼고 재주 없는 이는 과거시험장으로 달리며 육경(六經)은 봉록을 구하는 도구가 되었고 인의(仁義)는 요원한 길이 되었으며 문장은 관도지기(貫道之器)가 되지 못했고 도는 세상을 경영하는 쓰임이 되지 못했다.
文弊至此, 則世道之汚隆, 從可知矣.
문장의 피폐해짐에 여기에 이르고 보니 세상 도리의 오르고 내림은 따라서 알 만하다.
其所以爲弊者, 必有所自矣.
피폐해지게 된 까닭은 반드시 자연스러운 데에 있다.
今之取人, 只有科擧一路而已.
이제 사람을 선발함은 다만 과거시험이란 하나의 길만이 있을 뿐이다.
縱有經綸之才, 廟堂之器, 苟不由是路, 則終不與於淸班.
가령 다스릴 만한 재주나 조정에 쓰일 그릇이 있더라도 진실로 이 길을 따르지 않으면 끝내 청반(淸班)【청반(淸班): 지위는 낮으나 훗날 높은 관직에 등용될 수 있는 관직으로 과거(科擧) 출신자로서 임용되었음.】에 함께 하질 못한다.
彼囂囂樂道之流, 孰肯俛首屈志, 繫其得失憂樂於一夫之目哉?
저 어리석은 듯 도를 즐기는 부류가 누군들 기꺼이 머리를 숙이고 뜻을 굽혀 득실(得失)과 우환(憂樂)을 한 감독관의 안목에 메어두겠는가?
此所以眞儒不出, 俗儒日滋者也.
이 때문에 참된 선비는 배출되지 않고 속된 선비는 날로 불어난 것이다.
不寧惟是. 所謂科擧之文者, 有規矩有程度. 縱有波瀾之文, 瓊玉之詞, 苟不合於規矩程度, 則輒斥去焉. 彼汲汲於名利者, 孰不改其所守, 而徇人之耳目哉? 此所以科擧之文益盛, 而華國之才, 亦不多得者也. 華國之才, 尙不多得, 況乎聖賢之文耶? 士之上者, 有志於道德; 其次, 志乎事業; 其次, 志乎文章; 最下者, 志乎富貴而已, 科擧之徒則志乎富貴者也. 今玆欲得志乎道德者, 而反以志乎富貴者待士, 則甚非國家所以求賢之意也. 斯文之弊, 旣有所自, 則豈無救之之策乎? 思昔周室之盛也, 以鄕三物, 敎萬民而賓興之. 一曰‘六德’, 二曰‘六行’, 三曰‘六藝’ 不聞以文藻取人也. 誠使今之學行俱備, 得與於斯文者, 俾居權衡之任. 其取人也, 先德行而後文藝; 其講學也, 尊爲己而黜爲人; 其考文也, 取義理而捨浮華, 則必使人人勵志, 日趣正學, 屏去浮僞, 敦尙道德, 莫不以聖賢之文爲文也. 何患乎文弊之未革乎?
愚旣以管見, 仰塞明問, 而於篇終, 別有說焉. 夫子曰 ‘君子之德風; 小人之德草, 草上之風 必偃.’ 孟子曰 ‘上有好者, 下必有甚焉者’ 是故, 古之聖王, 莫不躬行以率下也. 古語有之, ‘城中好高䯻, 四方高一尺; 城中好廣袖, 四方全匹帛.’ 人主之於億兆, 其所以觀感而變化者, 豈特若城中而已哉? 上有好德之主, 則下多篤行之士; 上有好文之主, 則下多窮經之士, 莫不由人主而致之也. 人主苟能以大學之道爲己任, 窮理正心; 修己治人, 則君子得聞大道之要; 小人得蒙至治之澤, 正學日明, 眞儒日盛, 書所謂‘文命敷于四海’; 詩所謂‘思皇多士’ 生此王國者, 不期然而然矣. 是故, 文風之盛衰, 繫於理學之隆替; 理學之隆替, 繫於人主之一心, 願先生勿以迂儒所見疏闊, 而轉以上聞, 幸甚. 謹對. 『栗谷先生全書拾遺』 卷之六
인용
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